神々の山嶺(全5巻)(画・谷口ジロー、作・夢枕獏/集英社)
山を登るクライマーの物語で、このドラマ性の完成度の高さにはひたすら圧倒された。
常に生きるか死ぬかの境で山に挑むこの緊迫感は、たとえ映画でも簡単には表現出来るものではないだろう。
「岳」を読んだ時も山のコワさを実感したけれど、この「神々の山嶺」は国内の山だけでなく、ワールドワイドなので「岳」よりもさらに数段コワい。
とにかく驚くのが、山の絵がものすごく上手いことだ。写真かと思うぐらいの質感を持って、山の美しさと険しさが迫ってくる。この質感があるからこそ、リアルに山の存在を感じながらクライマーの視点で世界に入ってゆくことが出来る。この作品を描けるのは、間違いなくただ一人、この谷口ジロー氏だけだろう。
山の頂上を目指す男たちは、自然そのものを相手にするだけではなく、同じ頂上を目指す他のクライマーたちとも対峙することになる。そこには、やはり山にしか生まれない人間ドラマがある。クライマーとしてしか生きられない羽生は、常に孤高の存在だけれども、その彼にもやはり、ライバルや仲間がいる。
それらの物語も含めて、この巨大なスケールの物語がクライマックスに向けて収斂していくところは本当に見事としか言いようがない。映画を超える迫力を持つ名作だった。
【名言】
岩を登るという分野には・・登攀者の努力だけではどうにもたどりつけない領域があるんです。そういう人間の岸壁登攀は速いだけでなく美しい。流れるようなリズムがあるんですよ。ま・・天才だったんでしょうね、羽生は。(1巻p.153)
たったこの25メートルを登るためだけにこれまでの20年間はあったのではないか。こんなことはもう二度とできないだろう。もう何もおれの中には残っていない。気力とか体力とか言葉で言いあらわせるものじゃなく、言いあらわせないものまですべてこの登りに使ってしまった。そして手に入れたのが、あとひと晩か数時間生きてもいいという権利だ。神がとか幸運がとは言わない。このおれがその権利を手に入れたのだ。(2巻)
「それで、どうなんだあんたは。何故山に登る?」
「正直・・よくわからないな。あのマロリーは、そこに山があるからだとそう言ったらしいけどね。」
「少なくとも、俺は違うね。そこに山があったからじゃない。ここにおれがいるからだ。おれにはこれしかなかった・・これしかないから山をやっているんだ。」(4巻p.83)
ここでテントを張ることができるのは唯一この岩の下だけだ。しかもここの狭いこの場所だけなんだ。他の場所にテントを張れば、ひと晩に何度か必ず落石が襲う。それが頭部にあたれば死ぬ。眠る時もその姿勢でいることだ。もしザックの上に上体を被せて寝込んでしまったら落石が直撃する。おれが山だったら、そういうミスを犯す人間の頭には遠慮なく石を落とす。(4巻p.270)