システム哲学入門(アーヴィン・ラズロー/紀伊国屋書店)
生物や社会のような小さな「個」の複合体が、どのように有機的に関連しながらシステムとして成立しているかということを語った本。最近の著作である「叡知の海」と比べると、かなり内容的にはシンプルで淡々としているのだけれど、源流となる思想にはやはり共通したものを感じる。純粋なシステム論の話題がほとんどで、哲学的な内容については特に言及されていない。
今となっては、新しさはあまり感じないのだけれど、この本が出版された1980年当時ではかなり斬新だったのではないかと思う。こういう、生物学・社会学とシステム論を組み合わせた話しというのは、自然の美しさを見事に表現していることが多く、とても面白い。「システム哲学」というのはラズローがみずから名づけて開拓をした学問分野で、しかしその名称は、残念ながら現在に至るまでの間に根付くことはなかったようだ。入門的位置づけということもあり、非常に簡明で読みやすい本だった。
【名言】
われわれの人間中心主義的なおごりに対して痛烈な一撃が加えられた。人間のような資質は必ずしも「より高度な」達成物でも進化発展の痕跡でもないということが、実際に知られたのである。進化は他の諸種のほうではなく人間の方に進むとは限らないし、また他の種の部分に起こった失敗がもとで進化がなされるとも解釈されてはならないのである。恐らく人間の方への発展は、何度も何度も取捨選択を繰り返した他の諸種の莫大な数の試行錯誤の一結果であろう。人間の方への発展は、キリンのような長い首、鳥類の羽、アリクイのむちのような舌への発展よりも良いとも悪いともいえない。進化は、特殊な状況下では人間的資質を優遇しているようではあるが、決して人間的資質に向かって「ドライブ」をかけているわけではない。(p.105)
社会文化的システムは、幅のある-大統領から靴磨きの少年までというような-役割をもっている。充分な資質を備えた人々は、ユニークな個性をもっていても仕事を得ることができる。役割は所与の個々人のために作られているのではなく、資質に基づいて区分けされた個々人の質のために作られているのである。その役割がみたされているときには、新しい人の個々の独特なパーソナリティーが他の人々との相互関係のなかに現れてきて、組織構造内に変革をもたらすように作用する。どんなシステムにも、部分が部分に働きかけられるような柔軟性が存在するのである。(p.140)
われわれは宇宙の中心的存在でもないし進化の目的因(telos)でもないのである。しかしわれわれは、特殊地球的変形物となって現れてきた宇宙の諸過程の具体的な権化なのである。しかも偶然ではあっても、内省というまれにみる特性を進化発展させてしまった。そのおかげで、世界を意味づけ、それに呼応するのみならず、自分自身の感覚を知り宇宙の本質に関してもまた理性的な結論を下すことができる、宇宙の自然システムのなかでも実にまれな種であるということになろう。人間であるということはそれ故、自分自身と自分の生きている世界を知ることができるすこぶるユニークな機会をもっているということなのだ。確かに、そういう機会をなおざりにしたり自分自身を単に生きることのみに閉じ込めてしまうことは、近視眼的である。(p.146)