21世紀の歴史(ジャック・アタリ)


21世紀の歴史(ジャック・アタリ/作品社)

38歳にしてミッテラン大統領の特別補佐官を務めたジャック・アタリが、これからの世界の未来を予測するという、もうそれだけでかなり熱い本。
将来についての予測を述べる前に、まず、これまでの資本主義の歴史の中で人類がたどってきた道のりを、概観としてまとめているところも面白い。
未来予測は、もちろん正確におこなうことは不可能ではあるけれど、この本の予測の方法は、アシモフの「ファウンデーション」の中でハリ・セルダンがおこなっていたように、人類が今後歩むであろう「大まかな」方向性について予言をしていて、それは、多少の変数の変動があっても高い可能性で発生するだろうと思えることばかりだ。
この本が面白いのは、それぞれの時代に出現した「中心都市」という視点から歴史を俯瞰していることだ。その時々の市場状況や、産業の発達状態や、偶然的な要素によって、中心都市は常に移り変わっている。
これまでの人類の歴史に登場した「中心都市」は、ブルージュ、アントワープ、ヴェネチア、ジェノヴァ、アムステルダム、ロンドン、ボストン、ニューヨーク、ロスアンゼルス、の9つ。
その、中心都市の遷り変わりをまとめて見てみると、確かに歴史の中には一定の法則が潜んでいるように思える。それをそのまま未来に適用して、これからの動向を推測しているので、著者の意見にはものすごく説得力がある。
中心都市は段々と東から西へと移動していて、大西洋を越えてヨーロッパからアメリカに渡り、順当に行けば、さらに太平洋を越えて東京へと中心都市が移行するという可能性もかなりの割合であった。
しかし、日本はそのチャンスを一度は逃した。それはとても残念なことではあるけれど、今後アジアのどこかの都市が中心都市となることは間違いなさそうで、その時にはまだ東京にも復活の可能性はあるかもしれない。
この本が、現在の中心都市が存在するアメリカから出版されたのではなく、フランスから出版されたというのは、とても面白いことだ。かつて歴史的に中心都市を持ったことがない、フランスという国からの分析であることで、この本の記述は、アメリカが持つ今後の影響力を過大評価も過小評価もせず、とても客観的におこなわれていると思う。
生まれた時から、アメリカという国の大きな影響下で育ってきた自分にとっては、アメリカが世界の中心の座を明け渡すという図を想像することは、なかなか難しいことだったけれど、この本を読むと、歴史の必然性として、中心都市の栄枯盛衰は不可避の出来事なのであるということがよくわかる。
この筆者の歴史認識は、とてもフラットで偏りがなく、膨大なデータに基づいた的確なものだと思った。「歴史から学ぶ」ということの重要性をこれほどまでに痛感させてくれる本は、他にはなかった。読み物としてだけでもかなり面白いし、現代の地球の状況についてとてもよく理解出来る本だった。
【名言】
日本には20世紀後半に世界の中心勢力となるチャンスがあった。また日本は、本書に登場する世界市場においてさえ、「中心都市」となるチャンスさえあったのだ。しかしながら、日本はいまだに「中心都市」とはなりえていない。(p.1)
長期的な観点から歴史を眺めると、歴史とは、唯一の、頑固できわめて特殊な方向に向って展開してきたことがわかる。たとえ急激なブレがある程度の期間続いたとしても、現在まで持続的にこの流れが捻じ曲げられてきたことはない。その方向性とは、いかなる時代であろうとも、人類は他のすべての価値観を差し置いて、個人の自由に最大限の価値を見出してきた、ということである。(p.19)
ヴェネチアは、ブルージュやその後の「中心都市」と同様に、技術革新の中心地ではなかった。すなわち、「中心都市」は発明の現場となるのではなく、発明されたものを見つけ出し、これをコピーして他のアイデアに応用する場所なのである。(p.71)
多くの人々は、限られた時間のなかで、すべての書物に目を通し、すべての精通し、すべてをこの目で確かめ、すべての土地に足を運び、すべてを学ぶことは無理であることを悟る。ところで、必要な知識は、すでに7年ごとに倍増しているが、2030年には72日ごとに倍増する。知識を得て学び、就労可能な状態であり続けるために必要な時間も同様に増加する。ところが、健康に気を使ったり、身体を鍛えたりするために必要な時間や、睡眠時間や愛し合うために必要な時間も相変わらず必要である。(p.176)
市場の形式は、これまで9回にわたって変化してきたが、同時代の人々は、「中心都市」の栄枯盛衰を目の当たりにしても、「中心都市」が消え去るとは考えず、また「中心都市」は永遠に世界の首都である続けるだろうと確信してきた。
また、しばしば同様に、昔から権力に関しても、衰退していく「中心都市」の周辺の者たちが気づかないうちに、所有者が移り変わってきた。過去の支配者たちは、実際、彼らは不可逆的な衰退期に突入し、すでに他者により彼らの地位は奪われたのにもかかわらず、自分たちの製品・文化・外交・軍事が、まだ世界を制覇していると信じこんでいた。当時のブルージュ、ヴェネチア、ロンドン、ボストン、ニューヨークの場合がそうであったように、明日はカリフォルニアの番である。(p.183)
世界の危険に対して用心深い北欧諸国は、自由に敵対する者たちを刺激しようとは思わないことから、秘密の外交の場合はのぞいて、他の役割にかかわろうとはしないであろう。よって、北欧諸国は「中心都市」としての役割を担うことを拒否する。というのは、「中心都市」は決して中立な立場でいられないからである。(p.189)
唯一解消できない希少性とは時間であることから、「蓄積された時間」の市場価値は下がり、「生きた時間」の市場価値は高まる。よって、蓄積された時間である映画・音楽ファイル・本などは無料になる一方で、演劇、ライブ・コンサート、講演会は有料になる。クローン技術をもちいて時間を超越しようとする者も現れる。(p.337)
ソーシャルブックシェルフ「リーブル」の読書日記

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