飛ぶ夢をしばらく見ない(山田太一/新潮社)
ジャンル的には「時をかける少女」とちょっと似た、SF要素が入った青春小説、のような分類になるのだと思う。時間の流れが逆行してどんどん若返っていく人物を描くことで、時間の貴重さを表現するという、逆説的な構成。
映画「ベンジャミン・バトン」よりもずっと前に、同じテーマで、しかもより哀切に満ちた形で表現されている小説があったということに驚いた。ベンジャミン・バトンと違うのは、それが、何十年も続く出来事を追っているのではなく、ほんの数ヶ月間の凝縮した時間の話しだということで、それだけに一層、一瞬一瞬の密度が濃くなっている。
この小説では「言葉」の交換が重要なコミュニケーションの手段になっているというところが面白かった。お互いの実年齢や見た目の年齢が離れている場合でも、唯一変わらないものとして、「言葉」と「声」があり、それのみを頼りにして、かろうじて繋がりを保っているような緊張感がある。設定は非現実的だけれども、かなりリアリティーがある小説だった。
【名言】
クリーム色のスラックスに白のブラウス、黄色のサマー・カーディガン、薄緑のスカーフ。おとなしいものだったが、むき出しの現実に出逢ったような気がした。若さが、はじめてふさわしい姿で立っていた。(p.126)
目を伏せて動かない睦子は、今までとは画然とちがって、贅肉を払ったような簡潔な美しさがあった。少女の持つ埃っぽさ、子供らしい粗っぽさ、不器用さがなく、その代わりに67歳の体験に支えられた落ち着きと洗練があるように感じた。先入観もあるだろうが、玄関で足を拭く睦子の動作は、少女の雑駁な可愛らしさで私を捉えたのではなく、何気なく行き届いた大人の手の動きで、私を魅きつけていた。(p.199)
「人間のひとりひとりは自然によって行われる貴重な、一回かぎりの実験」
「デミアン?」
「そう。一回きりで二度とくりかえされることはない。だから、どんな人間でも注目に値する」(p.209)
「言葉が欲しいわ。なにか言葉。励まされるような言葉。こんな訳の分からない運命を納得できるような言葉、気晴らしになるような言葉、笑っちゃうような言葉、感動するような言葉。なんでもいって。おぼえている言葉、なんでもいってみて」
すると私は、それにふさわしい言葉を、ほとんど持たないことに気づくのだった。こんな身の上の睦子を励ますには、なにか根源的なものに関わる言葉が必要だと思ったが、その種の言葉が、頭に少しも浮かばなかった。(p.211)
奇跡にささえられた関係であった。自分の無力を思い知らされていた。人の力で、この運命は左右出来ない。そう感じていた。あるいは、感じさせられていた。(p.269)