銃・病原菌・鉄


銃・病原菌・鉄 上下巻(ジャレド・ダイアモンド/草思社)

タイトルが素晴らしくいい。
「銃・病原菌・鉄」は、一つの文明が、別の文明を侵略して滅ぼす時に用いた手段で、鉄と銃はまあわかりやすい。病原菌、というのも大きな要因で、ヨーロッパからアメリカ大陸に人々が渡った時、多くのアメリカの原住民が伝染病によって死亡したのだという。
しかし、その逆に、アメリカ大陸からヨーロッパ(ユーラシア)大陸に向かって病原菌が広がることはなかったのは何故なのか。そもそも、大きな疑問として、何故、アステカ文明やマヤ文明などアメリカ大陸に存在していた人々が、大西洋を渡りヨーロッパに向けて侵攻をする、という歴史にはならなかったのか。
この本では、大航海時代や帝国主義時代に明らかになった「文明の格差」がどのように発生したのかということについて、人類の起源まで遡って、あらゆる角度から細かく検証をしている。
この本が面白いのは、その大きな一つのテーマに沿って話しながら、食料生産の成り立ちや、疫病の発生過程や、技術の伝播の仕方など、その周辺にある様々な事柄について詳しく説明をしていることだ。こういう、本筋とは直接に関係のない、雑学的な話題がとても楽しい。
普通は、歴史を学ぶ時は、既にあった事実ばかりを知るような方法で学ぶことが多いけれど、そもそもそれが起こったのは何故だったのか、という、ものすごく根本的なところを考えるきっかけを与えてくれる点で、かなり面白い本だった。
【名言】
現代世界における各社会間の不均衡についての疑問は、つぎのようにいいかえられる。世界の富や権力は、なぜ現在あるような形で分配されてしまったのか?なぜほかの形で分配されなかったのか?たとえば、南北アメリカ大陸の先住民、アフリカ大陸の人びと、そしてオーストラリア大陸のアボリジニが、ヨーロッパ系のやアジア系の人びとを殺戮したり、征服したり、絶滅させるようなことが、なぜ起こらなかったのだろうか。(上巻p.20)
ヨーロッパ人によるインカ帝国の征服を決定づけたのは、ピサロが皇帝アタワルパを捕えたことである。スペイン側は、アタワルパを捕らえられなかったとしても、圧倒的に優れた武器によっていずれは勝利していただろう。しかし、彼らがアタワルパを捕虜にしたことで、征服はよりすみやかに、より容易になった。(上巻p.101)
食料の貯蔵・蓄積はまた、征服戦争に宗教的な正当性を与える僧侶の存在も可能にする。刀剣や銃器などの製造技術を開発する金属加工職人などの存在も可能にするし、人の記憶を上回る記録を書き残せる書記などの存在も可能にする。(上巻p.129)
食料生産を他の地域に先んじてはじめた人びとは、他の地域の人たちより一歩先に銃器や鉄鋼製造の技術を発達させ、各種疫病に対する免疫を発達させる過程へと歩みだしたのであり、この一歩の差が、持てるものと持たざるものを誕生させ、その後の歴史における両者間の絶えざる衝突につながっているのである。(上巻p.148)
肉食哺乳類は、餌の経済効率が悪いので、食用目的で家畜化されたものは皆無である。肉食哺乳類は肉が堅いとかまずいという理由で家畜化されなかったわけではない。われわれはしょっちゅう肉食の魚を口にしている。また私個人の体験からいわせてもらえば、ライオンバーガーのおいしさは保証できる。(上巻p.252)
肥沃三日月地帯の作物は、どうしてそんなに速い速度で伝播していったのだろうか。これには、この章のはじめの部分で指摘した、ユーラシア大陸が東西の方向に横長であることが影響している。東西方向に経度が異なっても緯度を同じくするような場所では、日の長さの変化や、季節の移り変わりのタイミングに大差がない。風土病や、気温や降雨量の変化、そして分布植物の種類や生態系も、日照時間や季節の移り変わりほどではないにしても、よく似たパターンを示す傾向にある。(上巻p.275)
ユーラシア大陸を起源とする集団感染症の病原菌は、群居性の動物が家畜化されたときに、それらの動物が持っていた病原菌が変化して誕生したものである。ユーラシア大陸には群居性の動物が何種類も生息していた。しかし南北アメリカ大陸には、たった五種類しかいなかった。(上巻p.314)
まったくゼロの状態から文字システムを考案することは、既存のシステムで使われているものを拝借するのにくらべ、比較にならないほどむずかしい。発話、つまり、コミュニケーションの目的で人間が発する一連の音素を最初に文字で表そうとした人は、いま、われわれがあたりまえと思っている言語学的法則を、自分で見つけださなければならなかった。(下巻p.18)
現代社会では、誰もが車輪の有用性を認めている。しかし、その認識を持たなかった社会も過去には存在した。古代のメキシコ先住民は、車輪のおもちゃを発明しながら、車輪を物資の輸送に使っていない。われわれにとって、これは信じられないことである。しかし、メキシコ先住民は、車輪のついた車を牽引できるような家畜を持っていなかったため、人力で運ぶことにくらべ、車の経済的利点は何ひとつなかったのである。(下巻p.59)
1873年に開発されたQWERTY配列は、非工学的設計の結晶なのである。このキーボードは、さまざまな細工を施し、タイプのスピードを上げられないようにしている。頻出度の高い文字を(右利きのタイピストに、力の弱い左手をあえて使わせるために)キーボードの左側に集中させ、しかも、上中下の三列に分散させている。こうした非生産的な工夫がなぜ施されたのかというと、当時のタイプライターは、隣接キーをつづけざまに打つと、キーがからまってしまったからである。そこでタイプライターの製造業者は、タイピストの指の動きを遅くしなければならなかった。(下巻p.60)
文字は、天然素材を観察しているうちに自然発生的に誕生するものではない。したがって発明としては土器よりもむずかしく、発祥地は世界に数カ所しかない。アルファベット文字に関しては、まったく独自に発明されたのは、人類史上、一度だけである。このほかにも発明自体が難しい例としては、水車、回転式ひき臼、歯車、磁針、風車、写真術などがある。これらは、新世界ではまったく発明されていない。旧世界でも一度か二度発明されただけである。(下巻p.70)
結論を述べると、ヨーロッパ人がアフリカ大陸を植民地化できたのは、白人の人種主義者が考えるように、ヨーロッパ人とアフリカ人に人種的な差があったからではない。それは地理的偶然と生態的偶然のたまものにすぎない。しいていえば、それは、ユーラシア大陸とアフリカ大陸の広さのちがい、東西に長いか南北に長いかのちがい、そして栽培化や家畜化可能な野生祖先種の分布状況のちがいによるものである。つまり、究極的には、ヨーロッパ人とアフリカ人は、異なる大陸で暮らしていたので、異なる歴史をたどったということなのである。(下巻p.296)