酔って候


酔って候(司馬遼太郎/文藝春秋)

幕末の革命期を描いた小説といえば、たいがいは志士を主人公に、一介の藩士や浪人の視点から描かれることが多いけれども、この「酔って候」はそれとは逆に、藩主を主人公にして、大名の視点から維新を見た短編集になっているという構成が面白い。
収録された4編の主人公は、四賢侯の中から土佐藩山内容堂、薩摩藩島津斉彬(と久光)、伊予宇和島藩伊達宗城と、もう一人は松平春嶽の代わりに肥前藩主の鍋島閑叟。
表題作の「酔って候」は、土佐藩主山内容堂の一代記で、この短編が半分くらいの割合を占める。
同じ土佐藩の中でも、身分制度の厳しさのために、郷士として活動した坂本龍馬とはまったく交わることも、顔を合わせることすらなく、容堂の視点からは、龍馬の姿はまったく見えることがない。
同じ藩から同時代の革命を眺めていても、ここまで見え方が違うものかと思うけれども、司馬遼太郎の書き方からは、龍馬に対してだけではなく、龍馬とは別のベクトルに偏った一途さを持つ容堂に対しても、非常な愛着を持っているのが伝わってくる。
志士という立場でも、その所属する藩や身分によって、それぞれに固有の事情は生まれるけれども、大名という立場で在ることは、それとは比べものにならないくらいに特殊な条件をもって変動の時代に臨まなくてはいけないことを意味する。
ここで取り上げられている4人の藩主は、いずれも一編の主人公に成り得るだけの個性と、優れた資質を十分に持っていて、彼ら固有の物語の中での明治維新を感じることが出来る、面白い短編小説集だった。
【名言】
容堂の心中、悲痛であった。
(いっそ大名にうまれておらずに、一介の士民に生まれておれば、おれはきっと天下を奔走して最も尖鋭激烈な勤王討幕の士になったかもしれない)
とおもった。気質的にはおそらくそうであろう。
西郷は、容堂の勤王好きとその天才的な機略、聡明さをよく知っている。(山内容堂)(p.117)
「唯八、おれは酔っているか」
と、馬上から小笠原唯八に声をかけた。
(酔っているどころではない)
と唯八はおもった。ぐらぐらと体がゆれている。差料は、二字国俊で蝋塗りの刻み鞘、丸鍔に銀の覆輪、黒柄に金目貫がきらりとかがやき、脇差は川井正宗で、こしらえは金無垢に転び獅子を彫りつけたこじり、鍔は金家作で垣に郭公の彫り、柄は黒。
どうみても豪華である。唯八は、この殿の酔態がすきであった。えもいえぬ気品があり、どうみても二十四万石の酔態というべきであった。(山内容堂)(p.129)
いわゆる幕末の志士は多く倒幕以前にたおれたが、生き残った者も、しょせんは革命の志士で新しい行政機構の行政家としては不適格であった。ところが大久保ひとりは例外で、卓絶した行政能力をふるった。革命家の激情と権謀の才をもち、かつ治世の能吏でもあるという才能は稀有といっていい。(島津久光)(p.163)
「佐賀の学制は、幾多の俊英を凡庸たらしめた」と大隈はいっている。ただし、閑叟ののちの活躍にとっては、俊英などは無用有害であった。なぜなら、佐賀藩を動かす頭脳は、閑叟がもってうまれた頭脳一つでこと足りた。あとは犬のように従順な藩士がおればよい、というのが閑叟の帝王学であった。(鍋島閑叟)(p.281)
歴史の魅力は時をおいて評価できることだ。四賢侯といい、五賢侯といっても、その世界観、経綸の能力、藩士に対する統率力は、棋士でいえば素人と玄人の差ほどに、閑叟はかれらよりもまさっていた。山内容堂のごときは、その土佐藩の上部は佐幕、下部は長州的勤王派で、収拾つかぬ混乱のまま明治維新をむかえている。(鍋島閑叟)(p.304)