昭和史〈戦後篇〉


昭和史〈戦後篇〉(半藤一利/平凡社)

昭和史の戦後編といっても、すべての時代をまんべんなく話しているわけではなく、重点が置かれているのは、主に、GHQによる統治時代から、沖縄返還のあたりまでで、それ以降のことは「現代史」という位置づけで駆け足で解説がされている。半藤さんでなければ語り得ない、昭和天皇とマッカッサーの非公式会談の内容など、この時代に起こっていた虚々実々の駆け引きの内幕も明かされ、とても面白い内容だった。

こうして戦後の日本を、一気に通して見てみると、いろいろなことがあったんだなあと思う。軍隊非保持にしても、日米安保にしても、初めからそうなるべくしてなったわけではまったくなく、すべてが成り行きで、たまたま、その時に居合わせた人の気まぐれだったり、日本とはまったく縁のない海外情勢などが影響して決まっていったことばかりで、ちょっとでも歯車の組み合わせが変化すれば、今の日本とはまるで違った形の日本になっていた可能性はいくらでもあったことが、よくわかる。

2012年暮れの選挙を前にした今の時期も、原発問題や再軍備や領土問題などで、過去に例がないほど重要な日本の国運の分かれ目という雰囲気になっているけれども、戦後しばらくの間、日本経済が軌道に乗るまでの道のりを考えれば、国が滅びるかどうかの瀬戸際の危うい分岐点はいくらでもあった。
それは、その時代にたまたま現れた人物の裁量によって選択されたものもあったけれども、多くは、誰が決めたわけでもない偶然の流れによって組み上がったものとしか言いようがない、という実感を持った。

【名言】
こうして、昭和天皇を機軸にみんなして戦後日本の国歌再建に力を合わそうという、なんとなしに日本人に「あうん」の呼吸ができあがったのじゃないでしょうか。このことは、戦後昭和史を考えていくうえで、つねに基本としてあるんですね。昭和天皇の戦争責任その他についてこれからどんどんお話することになりますが、国民の大部分は、天皇陛下が「自分の身はどうなってもいい」と言ったおかげで戦争が終わったと、これは事実なんですけれど、この事に対して国民はものすごく心を寄せ、非常にありがたいものとして受け止めた、そのことが、この後もずーっと続いていくような気がするんです。(p.15)

日本に対して、アメリカを中心とする連合国、GHQ連合国総司令部は次から次へと指令を出してきます。ポツダム宣言にあるとおり、占領政策を実行してきたわけで、日本はそれを守らざるを得ないのですが、ただここで注意しておかなければならないのは、ドイツと違って日本は政府が残っていたことです。天皇の官僚がそのまま残ったということです。逆にみれば、これが残ったから戦後日本は生き延びられたとも言えるのですが、それが後に大問題にもなるのです。いずれにしろGHQは、この優秀だからと残した日本の官僚に対して占領政策をどんどん押し付けてきました。(p.63)

敗戦の8月15日から12月までの四ヶ月ちょっとの間に、日本という国はすっかり変わったと言ってもいいでしょう。人びとは食うことに精一杯で、他のことを考えているひまもなかったということかもしれません。(p.101)

朝鮮戦争がそうであったように、スエズ動乱も日本経済にとっては「第二の神風」になりました。すでにかなり景気がよくなった時期の世界的動乱、しかも遥か遠い場所ですから直接的には被害も受けません。たいへんな儲けを生み、好景気にさらに弾みがついたのです。
まったく戦争というのはいつの時代でも儲かるのです。新聞雑誌もそうです。だから変なことを考えるやつが絶えないのです。(p.470)

32年、ソ連は10月4日に人工衛星スプートニク1号を打ち上げました。それまで冷戦は、もっぱら核兵器の競争でした。戦争中から核爆弾をつくっていたアメリカに対し、戦後に核実験をして競争をはじめたソ連が、いきなり「宇宙」というものに手を出したのです。いつから目をつけはじめたのか、なかなか問題なのですが、終戦後、アメリカがドイツからロケット科学者たちを連れ帰ったのに対し、ソ連は図面や設計図を持ち帰りました。そして共に宇宙に関する研究を始めたのですが、結局は人間ではなく、図面や設計図などの資料を徹底的に研究したソ連が先んじたわけです。面白いもんですねえ。(p.473)

ここ(60年安保闘争)までの日本は、あっさり言えば、どういう国家をつくるかについて選択肢が四つありました。一つは、戦前のように天皇陛下を頭に戴き、陸海軍を整備した、いわゆる「普通の国」になることです。三島由紀夫さんが腹を斬ってまで訴えた「あるべきほんとうの国の姿」です。事実、鳩山さんや岸さんがそれをやろうとして安保騒動が起こったわけです。二番目は、左翼が主張するところの社会主義国家です。ソ連の傘下に入るという意味ではなく、アメリカ的な資本主義からは距離を置いたかたちの国家です。共和国でしょうね。三番目は、結果的にこれを選ぶことになるのですが、軽武装・通称貿易国家、つまり吉田さんがやろうとした経済第一で豊かな国をつくろうという選択です。さらに四つ目としては「小日本」です。一切のごたごたに関与しないような文化国家、つまり「東洋のスイス」といいますか、自分たちだけが静かに平和に生きていこうじゃないかという選択です。冷戦が厳しくなって現実的には不可能だったでしょうが、選択肢としてはあり得たと思います。(p.542)