台北の街を歩いていると、昔どこかで同じ風景を見たことがあるような既視感を感じる。
日本の中のまだ行ったことのない、たとえば北九州の都市に来たような、親近感がある。
日本にいるのと大きく異なるのは、看板で使われている文字が読めないということで、ただ、それも、まったくわからないわけでなく、漢字の雰囲気からなんとなくわかるという微妙な按配で、それがこのちょっと懐かしいような感覚の原因なのだろうと思う。
「スワロウテイル」のような、普段知っている世界とはちょっとズレた軸にある、パラレルワールドにいるような気分になる。
村上龍の「五分後の世界」では、もし日本が第二次世界大戦後、他国に分割統治されていたら、という架空の世界が描かれていたけれど、もし九州が中国によって統治されたとしたら、この台湾のような光景が生まれていたのではないかと想像してしまう。
台北は、たいがいのところに歩いても行けてしまうぐらい、街が小さい。それでいて、地下鉄やバスが充分に発達していて、コンビニエンスストアのような店もたくさんあり、便利さが生活の中に行き渡っている。
しかし、それは、いかにも「都会」というようなエッジのきいた洗練ではなく、どことなく慎ましやかな、あると便利なものを必要なだけ、生活の中に摂取したような発展の仕方をしている街だと思った。
驚くのは、日本から携帯電話を持っていくと、そのまま、日本にいるのと同じように通話やメールが普通に出来てしまうことだ。日本から台北まで3時間程度の飛行時間で着いてしまうこともあり、海外とは思えないくらい、とても身近に感じられる。