死刑(森達也/朝日出版社)
死刑という制度へのスタンスについては、反対派と存置派の2通りのポジションがあるけれども、日本では現在、8割が存置派でマジョリティを占めている。
しかし、世界の趨勢としては、死刑は廃止の流れにある。先進国で死刑があるのは、日本とアメリカのたった2国だけだ。
この本は、スタート地点としてはどちらの立場に立つこともなく、公平で客観的な視点から、多くの関係者に話しを聞く、というポリシーで組み上げられたドキュメンタリーだ。
「いのちの食べ方」を読んだ時も思ったけれど、世の中には、知っている気になっていても、実際にはその本質をまったく何も知ってはいない、ということがある。
死刑については、世のほとんどの人がその実態を知らない。大きな事件が起こった後、その犯人が死刑判決を受けたということをニュースで知ることはあっても、その後、その犯人がどうなっているかや、どのように処刑がされているかということを知っている人は誰もいない。
処刑の場に立ち会うのは、刑務官と教誨師のほか数人のみで、それ以外は、記者やマスメディアはもちろん、遺族も決して立ち会うことは出来ない。処刑された日にちや被告の名前すら、一般に公開はされない。
いわば死刑というのは、公然の暗部になっていて、入口の部分だけはわかっても、それ以降は完全に闇の中に隠されている制度なのだ。そのようなテーマをドキュメンタリーとしてまとめるにあたって、この、森達也さんほどふさわしい人は他にいないだろうと思う。
この本は、死刑制度について考える上で、様々な角度から、充分な材料を与えてくれる。ありがたいと思う。後は、それを踏まえて、自分がどのスタンスを選ぶのか、ということだ。
死刑の是非は解がない問いでもあるし、一人一人の価値観も考え方もまちまちなので、とても難しい問題だし、完全に妥当な結論はこの先も出ないだろうと思う。
しかし、たとえ結論は出ないにしても、死刑についての現状や、遺族や被告からの意見を知った上で「自分は果たしてどう思うのか」ということは考えておくべきなのだと思った。
【名言】
世の中には多くのことがある。多くのことが起きる。本を書くうえでも様々なテーマがある。勇気に感動、涙に慈愛、恋に革命、そんなテーマを選ぶことだってできる。何もよりによって死刑制度を題材に選ぶことはないじゃないかと我ながら思う。でも仕方ない。僕は気づいている。ここにはきっと何らかの本質がある。とてもしぶとくて重い本質だ。気づいてしまったからには、もう目を逸らすことはできない。いや、目を逸らすことはできたとしても、視界の端にそれはある。たぶん二度と消えることはない。ならば方法はひとつ。直視することだ。深淵を覗くとき、その深淵もまた、こちらを覗いているとニーチェは言った。たぶん僕は覗かれているのだろう。その実感はある。(p.10)
拘置所にいる確定死刑囚は、箱の蓋を開ける前のシュレディンガーの猫そのものだ。第三者からすれば、生きているか死んでいるかわからない。あるいは生きているか死んでいるかに意味がない。だから人はいつのまにか目を逸らす。こうして死刑は不可視の領域に置かれる。誰も触れない。誰も見えない。(p.43)
「とにかく徹底した秘密主義です。なんて言うのかな、分業システムも含めて、人が死ぬというリアルさが希薄になるような装置です。その意味では、うまく出来ているなあという感想を持ちましたね。」(p.98)
「よく生きて償うっていうじゃないですか。何するのよ。どうやって償えるの。償うっていうことは殺した人を生き返らせることなんだよね。それができるなら初めて生きて償うって言えると思う。それ以外、生きて償うということはありえないと思いますよ。」(p.297)