中国行きのスロウ・ボート

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中国行きのスロウ・ボート(村上春樹/中央公論社)

村上春樹氏の、初めての短編集。
収録されているのは、『中国行きのスロウ・ボート』『貧乏な叔母さんの話』『ニューヨーク炭鉱の悲劇』『カンガルー通信』『午後の最後の芝生』『土の中の彼女の小さな犬』『シドニーのグリーン・ストリート』の7作。
シンプルで、そっけない表紙なのだけれど、この表紙はとても好きだ。
ダントツで良いと思ったのは、『午後の最後の芝生』という作品だった。
この話しはすごい。ただ、仕事で芝生を刈りに行った一日を淡々と描いて、別れた彼女についての追憶が時々混ざるというだけなのだけれど、たったこれだけの出来事を描写した物語であるのに、実に様々なことを考えさせる要素が詰まっていた。
夏の暑い日の芝生の情景や匂いや熱気と、その後に家の中に入った後のひんやりした感じが、その場で体験したかのような現実味を帯びて伝わってくる。どうしてこんなフレーズが考えつくのだろうと思うぐらい、ぴったりとはまる言い回しが多い。40ページにも満たないくらいの短編だけれど、ものすごく密度の濃い作品だと思った。
【名言】
いいとも、僕は君たちの指をしゃぶろう。そしてそのあとで、雨ざらしの枕木みたいにぐっすりと眠ろう。(「貧乏な叔母さんの話」)(p.88)
詩人は21で死ぬし、革命家とロックンローラーは24で死ぬ。それさえ過ぎちまえば、当分はなんとかうまくやっていけるだろう、というのが我々の大方の予想だった。(「ニューヨーク炭鉱の悲劇」)(p.98)
それ以来、僕は一度も芝生を刈っていない。いつか芝生のついた家に住むようになったら、僕はまた芝生を刈るようになるだろう。でもそれはもっと、ずっと先のことだという気がする。その時になっても、僕はすごくきちんと芝生を刈るに違いない。(「午後の最後の芝生」)(p.187)
「私はなんていうか・・対象として面白いのかしら?」
僕は背筋をのばして、ため息をついた。「そうですね、あらゆる人間は等しく面白いんです。これが原則です。でも原則だけではうまく説明のつかない部分がある。それはまた同時に自分の中のうまく説明のつかない部分でもあるんです」僕はそれにつづく適当なことばを捜してみたが結局みつからなかった。(「土の中の彼女の小さな犬」)(p.216)