自負と偏見(J.オースティン/新潮社)
「世の中ね、顔かお金かなのよ」という回文があるけれど、この小説の舞台は、それを地でいくシビアな世界だと思った。19世紀初頭の、イギリスの上流階級社会を描いた物語で、当時において、結婚は何よりも重要な一大イベントだったらしい。
上流社会の家庭に生まれた女性にとっては、ほとんどの関心事は「どれだけ財産がある人物のもとに嫁ぐのか」ということであって、これは、当事者たちにとっては、現代を遥かに上回るプレッシャーを強いられる環境だったに違いない。
身分や、収入や、家柄がここまであからさまに、人間を評価する対象になるというのはかなり驚きだけれど、だからこそ、それに反発して乗り越えようとする人間がいるということそのものがドラマチックになるのだと思う。
とりたてて大きな出来事がおこるわけではなく、とても狭い範囲の社会での、日常的な人間模様を描いているだけなのだけれど、それでも、そこにもやはり、相互理解やすれ違いや誤解、というような様々なドラマがあって、先行きの見えないハラハラする展開が続く。
ミスター・ベネット、ミセス・ベネット、ミスター・ビングリー、ミス・ビングリー、などなど、登場人物の名前が紛らわしすぎて、その点がかなり読みにくい。その上、出てくる人の数も多いので、人間関係の把握がそうとうややこしい話しだ。
小説の中で、特に面白いと思ったのは、(全然主要人物ではないし、登場シーンはほとんどないけれど)シャーロットの行動と考え方だった。彼女の現実的で功利主義なところは、エリザベスと対照的で、その価値観の違いから、くっきりとお互いの人生に違いが生まれて来るところは面白かった。果たしてどちらの生き方が賢明なのか?というのはわからないけれど、どちらも、それぞれに応じた幸せを得ている気はする。
【名言】
独りもので、金があるといえば、あとはきっと細君をほしがっているにちがいない、というのが、世間一般のいわば公認真理といってもよい。(p.5)
いや、そうくるだろうと思ってた。女の想像力ってのは、翼が生えてるからね。感心すれば恋愛、恋愛すれば結婚と、話は一足飛びに飛ぶんだからね。いまにきっと、おめでとうとくるだろうと思っていた。(p.43)
もともとミスター・コリンズが、たった三日間のうちに、二つまでも結婚申込をしたというのが、だいたいおかしいのだが、それにしても、それがとにかく成功したというおかしさに比べれば、物の数ではなかった。もちろんシャーロットの結婚観が、自分のそれとは別なことは、前々からつねに感じていた。だが、まさかにいざという場合、ただ世俗的利害だけを考えて、その他の気持は一切犠牲にしてしまおうなどとは、夢にも思っていなかった。コリンズ夫人シャーロット!なんというそれは、悲しい風景だろう。(p.202)