人間交差点


人間交差点 全19巻(矢島正雄/小学館)

弘兼憲史氏といえば「島耕作」シリーズのイメージが強いけれど、真の代表作は、この「人間交差点」だろうと思う。これは、語り継がれるべき名作だ。
とにかく、抜群に絵が上手い。
このシリーズには、老若男女の、様々な種類の人が登場する。真面目な人、やる気のない人、ズルい人、複雑な事情を抱えた人、お人よし、未亡人、探偵、ホステス、などなど・・この世のあらゆるタイプの人々や職業を網羅していると言っても過言じゃないくらいの幅広さだ。
一話で20ページくらいしかないので、それぞれのキャラクターの細かい背景までは説明するスペースはないわけだけれど、それでも、人物の表情や格好で、おおよそのところを想像させてしまう、絵の上手さがある。
原作の矢島正雄という人は、他の作品は読んだことがないのだけれど、このストーリー作りの技もまたすごい。たった数十ページの短編なのに、十分に一本の映画に匹敵する内容の大作もたくさんある。どれくらいの頻度で連載していたものか知らないのだけれど、よく、このクオリティーを保ちながら、これだけの量を描き続けられたものだと思う。
文庫版の全19巻の中から、一冊選ぶとすれば10巻だろうと思う。
1巻~4巻あたりは、まだ方向性を模索している状態なためか、若干パワーがない。
短編集のため、どの巻から読んでも大丈夫なので、変則的に、途中の巻から読んでみるのがおススメ。
■特に良かった話し
5巻「挽歌」
6巻「窓」
6巻「渦」
6巻「海からの手紙」
7巻「輝きの中で」
9巻「扉」
9巻「海岸線」
10巻「一月の陽炎」
10巻「鬼火」
10巻「距離のない行進」
10巻「その時から」
13巻「追憶」
15巻「白夜」
15巻「血」
15巻「紅い花」
15巻「街」
19巻「なれの果て」
■名言
サイパンにおったですよ、戦争中・・。
サイパンにおって戦争しとったのか、自分だけが生き残る戦いしとったのか、未だにようわからんですわ。
いっぱい死んだです・・生き残っとって、勝ったかどうか未だにわからんとです。
中にはおるですよ、自分が死んでも人助ける奴・・本当におるとですよ。
信じられん凄い奴おるとですよ。
死んでも絶対消えん奴おるとですよ・・生きとっても勝ったかどうかわからんです・・。
生きるちゅうのは引きずることです。ズルズルズルズル引きずっていくことですよ。
ズルズルズルズル音たててみっともないとですよ。(9巻p.249)
この塔を作る時、事故にあった人がいた・・おじさんの知ってる人もいた・・。
でも、ここの展示場の説明には、その人達のことが書いてない・・何故だかわかるか?
この塔はね、この国の文化がとても進んだ国ですよーって、他の国に見せる為に建てられたんだ。
だからね、これを作る為に事故があったりしちゃいけないんだ。
本当は科学技術よりも、地下足袋履いた鳶職の人達の力が大きかったんだけど、そんなことも言っちゃいけないの。
大人の世界はそういうものなんだ・・何だかんだ言ったって、所詮、社会は弱い人間が犠牲になって成り立っている訳さ。(9巻p.295)
良いことも悪いことも一瞬、だからこそ大事なんだよな、人生って・・
やり直しがきかないなんて格好いいじゃないか・・
最高じゃないか・・
一生のうちに何度も時代の寵児になっちゃおかしいものな・・。(9巻p.300)
「恥ずかしい話ですが、私は人の言うままに生きている方が楽なんです。
・・私は自由な時間がこわい、何をしていいのかわからなくなるんです。」
「全く、私ら、自由に生きる習慣なんて身につける余裕なんかありませんでしたからな・・。
生活、戦争、仕事・・それだけでしたからなあ。」(10巻p.47)
一人・・妻は逝き、子は旅立ち、ただ時間のみが膨大にある・・
淋しくなく、悲しくなく、虚しくもなく、日々、生きる喜びに満ち、豊かなり・・(10巻p.53)
サダ・・私には祝えない。
おまえの結婚を祝えなかったように・・私にはこういう結婚を祝うことが出来ない。(10巻p.138)
世界の国々では価値のものさしがそれぞれ違うということを知った時、俺は今までの自分をひどく恥じた。
金が総ての時代に、いちばん似つかわしい自分を恥じた・・。
そして俺はマネーゲームから降りたんだ。(10巻p.220)
金を持っている大人は時間を持てるが、金を持っていない大人には一瞬しかない。
正義、恋愛、夢・・こういう、瞬間にしか存在しないものに貧乏人は総てをかける。そして、その一瞬の過ちのために、気の遠くなるような苦しい残りの時間を、おびえて過ごさなければいけないのだ。(10巻p.286)
人間の人生なんてみんな似たりよったりさ、いろんなことをやって来たように思っても、しょせん大したことはないのさ。
金持ちも貧乏人も、偉い奴も偉くない奴も、みんな過ぎ去ってしまえば同じだ。(13巻p.47)
当たり前なんですよ、悲しいものを悲しく書くなら誰にだって書ける。
それは自分の為に書いているんだ、自分の悲しさを、寂しさを、苦しさをわかって下さいと書いているんだ。
そんなものを人様に見せるぐらい、傲慢なことないんじゃないでしょうかね。(16巻p.213)
おまえがかわいそうな時代に生まれてきたのも確かだ・・。人間の本当の豊かさが知と愛と優しさを身につけることだということが理解しにくい世の中だ。
いつか必ず終わるだろうが、今が狂っているのだ・・。(16巻p.294)
ボクは父のようには生きないだろうな、たぶん父程の才覚もないし、エネルギーもない、時代も違うし価値観も違う。
ただ大人になった息子に、ふと思い出してもらえたら充分だ・・(15巻p.164)
父も、祖父も、そして曾祖父も、おそらく自分しか見ていなかったのだ。
あの花は自分の血だ・・。己を全うするだけの人生なら、その人生は生きるに値しないという死の誘いだったのだ。そして今、人生は自分のためだけにあるのではない、ということがわかった・・。(17巻p.131)
「想像してた通りだ。生きてるなって感じだな・・おまえは昔から人の為に生きてきた。」
「人の為?そんな事あるもんか!俺はいつだって、俺の為に生きて来たよ。正直言えば、利己的なぐらい自分自身の為だけに生きて来た。」
「おまえ生きてて楽しいか?人生は面白いんだぞ。とてつもなく楽しいんだ。心からそう思ったことがあるか?」(19巻p.131)
おもしろいものな、おまえの亭主。世の中にこれほど馬鹿な男がいるのかと感心する。何をやっても失敗して反省ひとつしようとしない、人の迷惑というものを知らない。すべてのものは自分が楽しく生きていく為にあると信じ込んでいるようじゃないか。
誰でもいつかは死ぬ。皆、毎日を面白おかしく暮らしたいと思ってはいるが、なかなか出来ない。私もそうだ。
財産が何だ、親戚が何だ、世間体がどうしたって、ハメはずしてハチャメチャやったとしても、みんなほんの一瞬だ。
それ以外の膨大な時間を苦虫を噛み潰したようにつまらなく暮らしている。
そんな私がこの人の生きる頼りになんかなっていた筈がない。(19巻p.152)
一人の人間の人生の頂点なんてたった三年ですよ。どんな人間でもどんな仕事でもどんな世界でもそんなものです。
良い悪いじゃない、才能も技術も関係なく、充実しきって極める頂点が誰にでもある。
いい仕事をするんです、輝いているんです。その時にしか出来ないものもあるんです。(19巻p.207)