光あるうち光の中を歩め
(トルストイ/新潮社)
【コメント】
一人の、キリスト教の熱心な信者と、それを否定するもう一人の人間との問答集のような感じで物語は進んでいく。
キリスト教を否定する主人公ユリウスがキリスト教に対して提示する、疑問や矛盾点の指摘はもっともなもので、ユリウスは容易にはキリスト教の精神を信じようとはしない。
たとえば、私有財産を否定しながらなぜ物を与えずに売ろうとするのか、結婚についてどこまで認めているのか、子供を巻き込んで改心する権利が大人にはあるのか、など。
その反駁に対してパンフィリウスは、一つ一つ丁寧に、惑うことなく熱心に答えてゆく。
ユリウスは悪人というわけではなく、どちらかというとごく普通の一般市民で、だからこそ、パンフィリウスと話す時、相手を信じる気持ちと信じられない気持ちの間で揺れ動く様子が、読んでいてよく伝わってくる。
物語の舞台は今よりもはるか昔のローマ時代だけれども、その語られているテーマが、現代に置き換えても違和感なく、そのままぴったりとあてはまることに驚かされる。人が抱える問題というのは、どの時代のどの国でもほとんど変わることはないのだということがわかる。
この本は、何よりもわかりやすい、キリスト教の基本的な教義を理解するためのテキストなのだと思う。
【名言】
「異教徒の諸君はすべて、君のように、自分と、個人としての自分に、最も多く快楽を与えると思える女を選び出す。しかし、そうした条件下では、目移りがして、決定するのに骨が折れます。まして快楽を得る得ないは、結婚後でないとわからないのだから、なおさらです。が、キリスト教徒には、そういう自己のための選択なんてものはありません。(p.68)
しかし、もう別個の生活がはじまったんですからね。これをぶち壊すわけにはいきませんよ。すでに着手したからには、最後まで押し通さなければなりません。父母や親友たちの不満、特にこの大転換の決行に行使しなければなるまいと思われる猛烈な努力を、まざまざと思い描いたユリウスはこう言った。(p.91)
まさかあんた以外に、神の下僕はいないなんて考えているのじゃないだろうな?もしあんたが働き盛りの時に、神への奉仕に献身していたら、神に必要なことを、全部行っていただろうか?あんたは倍も、十倍も、百倍も、余分にやったに違いないと言うだろう。しかし、もしあんたがすべてのひとびとより何億倍も多くなしとげたにせよ、神の仕事全体からみれば、それは何でもありはしない。取るに足らぬ大海の一滴じゃ。神のもとには大きいものも小さいものもありはしませぬ、また人生においても大きいものも小さいものもなく、存在するものは、ただまっすぐなものと曲がったものばかりじゃ。(p.147)