狭き門


狭き門(ジッド/新潮社)

「狭き門」というのは、「困難で、しかし正しい道」というような意味なのだろう。余程の意思の力がなければ、自然と易きに流れていくことになり、狭い門をくぐるようなことは無いわけだから、これは、随分と険しく過酷な道だ。
それにしても、アリサの思考はあまりにも禁欲的すぎて、「何もそこまで思い詰めて考えなくても・・」と思ってしまう。しかも、自分一人が信仰に殉じるのであればまだしも、それと道づれにするようにして、もう一人の男の人生までもめちゃくちゃに振り回しているような印象だった。
アリサの考え方にも、結局それに自分を合わせていってしまうジェロームの考え方にも、ほとんど共感が出来ないというのは、宗教的なバックグラウンドの違いによる部分が大きいような気がする。その意味では、自分自身の信仰の種類と深さを測る、踏み絵のような役目を持った小説なのかもしれない。
【名言】
「ぼくがこれからどんなものになろうとしても、それはみんなアリサのためなんだ」
「だってジェローム、わたしだってあなたから離れるかもしれないじゃないの」
わたしの言葉には、わたしの心そのものが込められていた。
「ぼくは、ぼくはどうしたって離れない」
彼女は、軽く肩をすくめてみせた。
「あなたはひとり歩きできるほど強くはないの?神さまを得ようと思ったら、誰でもひとりでなくてはいけないのよ」
「だって、ぼくにみちを教えてくれるのは君なんだ」
「なぜあなたはイエスさまのほかに案内者が必要なの?・・わたしたちがおたがいにいちばん近くにいるときは、それはおたがいがすっかり自分自身を忘れてしまって、ただ神さまにお祈りをしているときだけだとは思わない?」(p.33)
そうだ、彼女の言ったことは正しかった!自分はもう<影>だけしか愛していなかったのだ。わたしのかつて愛していたアリサ、そしてなお愛しつづけていたアリサは、もういなくなってしまったのだ。そうだ、二人はすっかり年をとってしまったのだ。(p.167)
もうその時はすぎてしまいましたの。恋をすることによって、二人が恋そのものよりもっとすぐれたものをながめることができるようになった日から、そうした<時>はわたしたちから離れていってしまいましたの。あなたのおかげでわたしの夢は高められ、人の世の満足などは、むしろそれをそこねかねないもののように思われだしてきましたの。(p.176)
主よ、ジェロームとわたくしと二人で、たがいに助けあいながら、二人ともあなたさまのほうへ近づいていくことができますように。人生の路にそって、ちょうど二人の巡礼のように、一人はおりおり他の一人に向かって、<くたびれたら、わたしにおもたれになってね>と言えば、他の一人は<君がそばにいるという実感があれば、それでぼくには十分なのだ>と答えながら。ところがだめなのです。主よ、あなたが示したもうその路は狭いのです--二人ならんでは通れないほど狭いのです。(p.197)