邪悪なものの鎮め方


邪悪なものの鎮め方(内田樹/バジリコ)

「邪悪なもの」については古今東西、人類が住むあらゆる場面で語られてきた。それが何なのか、とか、どうして生じるのか、ということの詳細はわからないとしても、それは確かに存在を認めなくてはいけない種類のものなのだと思う。
その邪悪なものをどう鎮めるのかというテーマとなると、どうしても曖昧模糊な話になってしまいそうだけれど、内田氏が語ると、そういう安易なところには落ち着かない。
スピリチュアルに拠らずに、曖昧な抽象論にも留まらずに、実に見事な道筋で一つ一つ論理を展開する。
内田氏の文章というのは、もともと、こういう、暗黙知に属するような事柄について的確に表現することに向いている文なのだと思う。
時に強引に、時に軽妙洒脱に、自在に論旨を進めるような巧みさがなければ扱えないようなテーマがこの本には集められていて、それがどのような結論にまで持っていかれるのか、読んでいてとても楽しみな話しばかりだった。
【名言】
経験的に言って、「どうふるまっていいかわからないとき」にでも適切にふるまうことができる人間がいます。判断を下すために十分なデータがないときでも正しい判断を下すことができる人間がいます。彼らはその段階では未知であることについて、先駆的に知っている。
「邪悪なもの」をめぐる物語は古来無数に存在します。そのどれもが「どうしていいかわからないときに、正しい選択をした」主人公が生き延びた話しです。(p.10)
私たちは「恋と革命のボタン」を押したつもりで、自分の死刑執行許可証に署名してしまったのである。
というのは、「過激派」の政治活動とは、ほとんどの場合、見知らぬ人から暴力をふるわれても文句を言えない立場に進んで身を置くことに他ならなかったからである。
私たちは(牧歌的にも)、論理的に整合的であり、倫理的に高潔な人間は、そうでない人間よりも、逮捕されたり負傷したりテロにあったりする確率が低いのではないかと期待していた(それくらいには「歴史の審判力」を信じてもよいのではないか、と)。
まるで間違っていた。(p.27)
身体的な外傷は時間とともに癒えるが、「暴力的なもの=邪悪なもの」が私たちにつけた傷、「世界には条理があるはずだ」という素朴な信憑を切り裂いたときに開いた傷跡は自然には癒えない。
この外傷を癒すために、生き残った人間は「仕事」をしなければならない。
その「仕事」とか、選別の時点では「死んだ人間」と「生き残った人間」の間に存在しなかった「差異」をそれからあとに長い時間をかけて構築することである。言い換えれば、「私が生き残ったことには、何か意味があるはずだ」という(自分でも信じていない)言葉を長い時間をかけて自分に信じさせることである。
だから、「生き残った人間」たちは「葬礼」を行うことになる。(p.31)
『どくとるマンボウ青春記』の中に、北杜夫がトーマス・マンに心酔していたころに、仙台の街を歩いていて「ぎくり」として立ち止まるという話がある。どうして「ぎくり」としたのか知ろうとしてあたりを見回すと、酒屋に「トマトソース」という看板がかかっていた、という話である。
「トマトソース」から「トーマス・マン」を読み出すためには、文字順を入れ替えるだけではなく、二つある「ト」を一つ読み落とし、一つしかない「マ」を二度読み、「ソ」を「ン」を読み違え、最後に「・」を付け加えるという作業をせねばならない。私たちの脳はこれほど手間のかかることを一瞬のうちにやっているのである。一瞬のうちどころか、自分が何かを見たのかどうかさえ気づかぬうちに終えているのである。そこまで「下ごしらえ」を済ませておいてから、私たちはようやくそれを「読む」段階に達する。(p.62)
マルクス主義が倫理的でありえたのは、「私たちから奪ったものを私たちに返せ」と主張したからではなく、「彼らから奪ったものを私たちは返さなければならない」と主張したからである。マルクスとエンゲルスは「奪う権利をもつもの」としてではなく、「奪われるもの」としてプロレタリアの権利について考えたのである。
社会的リソースの分配についてだけ見れば、どういう言い方をするにせよ、ブルジョワの専有物がプロレタリアに還付されるなら、結果的には同じことである。
同じことだが、違う。
祝福と呪詛ほどに違う。(p.82)
秋葉原の事件の後にあらゆるメディアに氾濫したように、この事件はどのような先行犯罪を踏まえているかについて、知識人たちは次々と「古歌」を探し始めた。私が読んだ中で一番驚いたのは、ある人がこれはドストエフスキーの『罪と罰』を想起させると言ったことである。事件の報道をよんで、ふとラスコーリニコフのことを思ったという。私は、つい誌面に向かって、「思うな」と言ってしまった。たぶん犯人はドストエフスキーなど読んではいない。けれども、「物しれる人」たちは次々と、誰にも頼まれていないのに「深読み」を始めてしまう。そして、そこに「歌枕」が築かれ、さらに次なるシリアルキラーを呼び寄せることになる。(p.110)
先日、六本木ヒルズにいったとき、あまりの「瘴気」に頭がくらくらした。あれはたぶんあの場所に数千人からの人が蝟集しているにもかかわらず、霊的なキャナライザーが装着されていないせいではないかと思う。(p.120)
私たちの人生にとってほんとうに重要な分岐点では、結婚相手の選択であれ、株券の売買であれ、ハイジャックされた飛行機の中でのふるまい方であれ、「どうしてよいかの一般解がない」状態で最適解をみつけることが要求される。
理論的に考えると、「どうふるまってよいのかの一般解が存在しない状況で最適解をみるける」ということは不可能である。けれども、「論理的にそんなことは不可能である」と言って済ませていたら、生きる上で死活的に重要な決定はひとつとして下せないことになる。そして、実際に私たちはそういうときに正否の準拠枠組み抜きで決断を下しているのである。(p.164)
「お稽古ごと」というのは無数の「約束事」(どうしてそういう決まりがあるのか、その起源について誰も知らないような)で編み上げられているのだが、それはそうしておくと「初学者はおもしろいように失敗する」からである。
素人がお稽古することの目的は、驚かれるかもしれないが、その技芸そのものに上達することではない。
私たち「素人」がお稽古ごとにおいて目指している「できるだけ多彩で多様な失敗を経験することを通じて、おのれの未熟と不能さの構造について学ぶ」ことである。(p.190)
配偶者を選ぶとき、それが「正しい選択である」ことを今ここで証明してみせろと言われて答えられる人はどこにもいない。私はそれをこれから証明するのである。
だから、「誰とでも結婚できる」というのは、言葉は浮ついているが、実際にはかなり複雑な人間的資質なのである。
それはこれまでの経験に裏付けられた「人を見る眼」を要求し、同時に、どのような条件下でも「私は幸福になってみせる」というゆるがぬ決断を要求する。
いまの人々がなかなか結婚できないのは、第一に自分の「人を見る眼」を自分自身が信用していないからであり、第二に「いまだ知られざる潜在可能性」が自分に蔵されていることを実は信じていないからである。(p.279)
「ひとりではできないこと」にはいろいろなことがある。「私」単体を基準にとると、「いやなこと」もあるかもしれない。
でも、私と他者をまとめた複素的身体を基準に総合的に考えると、「いや」とか「いい」とかいうレベルはあまり関係ない。
ご飯を食べるときに、右手は忙しく箸を使っている。食べるのは口である。これを「右手」と「口」の対立の中でとらえると、右手は「おれはただ筋肉疲労がたまるだけなのに、口のヤローは美味しい思いしやがって」という「不満」だってありうるかもしれない。
けれども身体全体としては、「部位によってはいろいろとご不満もおありでしょうが、ま、ここはですね、ひとつ大所高所からご判断いただくということで」ということでまとめさせていただくことになる。
結婚だって同じである。配偶者と共同的に構成している「結婚体」というものを基準に考えるのである。それが気分よく機能するのはどうすればよろしいか、ということを配慮する。
「結婚」することで「私」がどのような快楽や利便を得るか、というふうに問題を立てるからいつまでも結婚できないのである。「私」が参与することで、「結婚体」のパフォーマンスはどのように向上するか、ということを考えればよいのである。(p.306)
「コミュニケーション能力」という言葉をほとんどの人は「言いたいことをはっきり言って他人に伝える」能力のことだと思っている。でも、僕は、それは少し違うのではないかと思っています。たしかにコミュニケーション能力は「他人に何かを伝える力」のことです。けれども、他人にいちばん伝えたいと思うのは、「自分が知っていること」ではないんじゃないかと僕は思います。自分が知り始めていて、まだ知り終わっていないこと。そういうことがコミュニケーションの場に優先的なトピックとして差し出されるのではないでしょうか。ちょうど巨大な船について記述するときのように、船首について話し始めたときには、船尾はまだ視野には入っていない。そういうことについて語るのが僕たちがいちばん高揚するときなのではないか。僕は何だかそんな気がします。(p.323)
「リーブル」の読書日記