重力ピエロ(伊坂幸太郎/新潮社)
この小説は、ある兄弟と、その父親と、亡くなった母親についての物語だ。
話しは「遺伝子」をメインテーマにして進んでいき、過去にあった出来事のエピソードを時々交えながら、徐々に家族の歴史とつながりの深さが明らかになっていく。
謎の放火犯を追うというミステリー仕立ての作りにはなっているけれど、そこには特に重点は置かれておらず、家族の関係性を際立たせるための一つの材料としてしか本筋には関わってこない。
弟の「春」と父親の間には遺伝子上のつながりはない。
そのことは、たとえ表面上には出てこなくても、家族の中に常に暗い影をおとし続けている。しかし、この兄弟はそれを深刻に語るのではなく、努めて明るく、大した問題ではないかのように扱おうとする。
それは、彼らが「本当に大事なことは陽気に伝えるべきだ」という信念に基づいていて生きているからだ。
原罪をめぐって、どこまでの報復が許されるかを自らに問い続ける「春」の良心の苦悩は、「罪と罰」を彷彿とさせる重いテーマだけれども、全編にあふれる明るさのために、それすらもとても爽やかに描かれている感じがする。
兄弟の会話には、色々な文学作品や思想家を引き合いに出した、しゃれた言い回しが多く、それが独特のテンポと雰囲気を作品に与えている。
書き留めておきたい言葉があちこちに転がっていて、とてもたくさんのことを考えさせられる小説だった。
【名言】
「人生というのは川みたいなものだから、何をやっていようと流されていくんだ。安定とか不安定なんていうのは、大きな川の流れの中では些細なことなんだ。向かっていく方向に大差がないのなら、好きにすればいい」(p.71)
彼女の嬉しそうな顔が映し出された瞬間、十代の私も感づいた。あ、この子はきっと手っ取り早い逆転を体験したかったのだ、と。いま一歩、垢抜けない自分の人生に、劇的な変化が訪れるのを、大きな努力もせずに、待っていたのではないか、と意地悪く、勘ぐった。彼女は、遺伝子の繋がった父親が優秀だとしたら、自分の価値が変わるに違いない、と思ったのではないか、と邪推した。(p.118)
人間はさ、いつも自分が一番大変だ、と思うんだ。不幸だとか、病気だとか、仕事が忙しいだとか、とにかく、自分が他の誰よりも大変な人生を送っている。そういう顔をしている。それに比べれば、あの鳩のほうが偉い。自分が一番つらいとは思ってもいない。(p.187)
ローランド・カークの曲を思い出した。あの、盲目のサックス奏者は、目に見えるものを軽々と超越していた。ローランド・カークは鼻でフルートを演奏するらしい。楽器を何本も一度に口に入れて、吹く。「見た目の不恰好さだとか、気を衒うだとか、そういうのは飛び越えてるんだよ。音が良ければ、見た目は関係がない。当たり前のことだよ。本当に大切なことを知っている人が俺は好きなんだ」(p.254)
人類は様々なことで、進化、発達をしてきただろ。科学も機械もね。先人の教えや成果を学んで、それをさらに発展させてきた。でもね、芸術は違う、エッシャーはそう言ってたよ。どんな時代でも、想像力というのは先人から引き継ぐものじゃなくて、毎回毎回、芸術家が必死になって搾り出さなくてはいけないってことだよ。だから、芸術は進化するものではないんだ。十年前に比べてパソコンも電話も遥かに便利になった。進化したと言ってもいい。でも、百年前の芸術に比べて、今の芸術が素晴らしくなってるかと言えば、そうじゃない。科学みたいに業績を積み上げていくのとは違ってさ、芸術はそのたびに全力疾走しなくてはいけないんだ。(p.336)
「おまえは許されないことをやった。ただ、俺たちは許すんだよ。」「俺たち、って誰」「俺と父さんだ。母さんも一緒に入れてもいい」「酷い家族だな」「いいんだよ。おまえはきっと、そのことについて、今まで何百回、何千回と考えてきたんだ。悩んできた。そうだろ。そのおまえが出した結論なんだ。他の、ちょっと首を突っ込んできた野次馬だとか、刑事だとか、法律家にとやかく言われる必要はないよ」(p.459)