残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法


残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法(橘玲/幻冬舎)

かなり面白かった。
現代を、悲観論でも楽観論でもない、とても客観的で透徹した視点で見ていて、一般的に言われる常識とは全然違うけれども本当にその通りだ、と納得させられることが多かった。
勝間和代氏の本に代表される「努力すれば人は変われる」といった「自己啓発」の潮流を冷ややかに斬り捨てるところから始まり、「人は変われない」という身も蓋もない前提から話しは展開していく。
しかし、それは希望を奪うような話しではなくて、「では、その前提で、この過酷な時代をどう生きるべきなのか」という、ものすごく前向きで現実的なスタンスから、戦略の立て方を考えていっている。
全体の結論として「伽藍を捨ててバザールに向かえ」という、オープンソースの思想を紹介するところで止まってしまっていて、あまり具体性がなかったのが残念だけれど、そこに至るまでの分析がとても素晴らしく、それぞれが自分自身の結論を出すには十分な材料が提供されていると思う。
生きる指針や世界の見方までガラッと変えさせられるような、まったく新しい視点を与えてくれた本だった。
【名言】
これは、脳科学や進化心理学の本ではない。なぜ自己啓発がこれほどぼくらを惹きつけ、けっきょくは裏切るのか。ぼくたちはどうしていつも不幸なのか。そして、世界はなぜこれほどまでに残酷なのか。その理由を、誰にでもわかるように説明してみたい。(p.11)
ハリスは、子どもの性格の半分は遺伝によって、残りの半分は家庭とは無関係な子ども同士の社会的な関係によってつくられると考えた。ひとは(チンパンジーも)生まれ落ちたときから、年齢のちかい子ども集団に同化することで性格(パーソナリティ)を形成するよう遺伝的にプログラムされている。だから子どもは、親や大人たちではなく、自分が所属する子ども集団の言語や文化を身につけ、同時に、集団のなかでの自分の役割(キャラ)を目立たせようと奮闘するのだ。
集団への同化と集団内での分化によって形成された性格は、思春期までには安定し、それ以降は生涯変わらない。ぼくたちは長い進化の歴史のなかで、いったん獲得した性格を死ぬまで持ち続けるよう最適化されている。
もしこれがほんとうだとしたら、努力することにいったいなんの意味があるだろう。(p.34)
先史時代には、親の愛情などなくても子どもはちゃんと育っていて、だからこそ今の私たちがいまここにいる。もちろん、親が子どもの人生にきわめて大きな影響を与えるのは間違いない--遺伝を通じて。(p.100)
ハリスの説は、別々に育った一卵性双生児がなぜそっくりなのかも説明できる。子どもは、自分と似た子どもを引き寄せる。外見や遺伝的な性格がまったく同じなら、育った環境がちがっていても、よく似た友だち集団のなかで同じような役割を演じる可能性が高いだろう。もしそうなら、人格まで瓜二つになったとしてもなんの不思議もない。(p.102)
スペリーとガザニガが、分離脳患者の左視野に「笑え」と書いたボードを置くと、見えていないにもかかわらず患者は笑い出した。なぜ笑ったのかを訊くと、「先生の顔が面白かったから」と答えた。
分離脳患者の実験は、右脳は言語を意識化する能力はなくても、言葉を理解し命令を実行する「知能」を持っていることを示した。だがこの行動は無意識に行われるため、右脳から切断された左脳は自分がなぜ笑ったのかを知らない。
脳には膨大な量の情報が流れ込んでくるが、そのうち意識化できるのはごく一部だ。しかしひとは、つねに自分の行動に合理的な理由を求める。だから、自分が笑った以上、なにか面白いことがあったにちがいないと解釈したので(下條信輔『サブリミナル・マインド』<中公新書>)
分離脳患者が左脳をどれだけ訓練し、深い内省を重ねたとしても、なぜ右脳が自分を笑わせたのか、真実を知ることは絶対にできない。なぜなら、無意識を意識することは原理的に不可能だからだ。(p.106)
自分の血縁者を会社に入れるのはきわめて政治的な行為で、重い責任がともなう。すなわち、血縁者がトラブルを起こせばそれは自分に跳ね返ってくる。
それに対して弱い絆の紹介行為は、たまたま知り合ったひとを、たまたま知っている別のひとにつなぐだけだから、失敗しても責任を問われることはない。逆にその人間が役に立てば、相手から感謝されて貸しをつくることができる。これはいわば、損をしない投資みたいなものだ。貨幣空間では、ひととひととをつなぐことによって、みんなが得をする正のフィードバック効果が働いている。(p.142)
ひとはみんな、自分が特別だと思っている。その臨場感は圧倒的だ。どれほど冷静沈着なひとでも、「自分を中心に世界が回っている」という錯覚からは逃れられない。(p.184)
多様性と流動性のあるバザールでは、ネガティブな評判を恐る理由はない。不都合な評価を押しつけられたら、さっさとリセットして自分を高く評価してくれる場所に移っていけばいいだけだ。だからここでは、実名でポジティブ評価を競うのがもっとも合理的な戦略になる。
一方、いったん伽藍に閉じ込められたら外には出られないのだから、そこでの最適戦略は匿名性の鎖でネガティブな評価を避け、相手に悪評を押しつけることだ。日本はいまでに強固なムラ社会が残っていて、だからぼくたちは必要以上に他人の目を気にし、空気を読んで周囲に合わせようとする。伽藍の典型である学校では、KYはたちまち悪評の標的にされてしまうのだ。
日本は世界でもっとも自殺率が高く、学校ではいじめによって、会社ではうつ病で、次々と人が死んでいく。情報革命はネガティブ情報をがん細胞のように増殖させ、伽藍を死臭の漂うおぞましい世界へと変えてしまった。
ぼくたちは生きるために、伽藍を捨ててバザールへと向かわなくてはならない。(p.246)