歌うクジラ


歌うクジラ(電子書籍版)(村上龍/講談社)

電子書籍というメディアにふさわしい小説を書くだろう作家は誰かと考えたとき、まず思い浮かぶのは村上龍だ。まさに絶妙のタイミングで、書くべき人が書いた、という感じがする。
その力の入れようも本気で、この「歌うクジラ」は、書籍よりも先行して、iPhoneとiPad用のアプリケーションとして販売されていて、ソフトの価格も1500円という、電子書籍としては高めの値段になっている。
最初の第一章を読んだ段階で、その設定のあまりの面白さに、途中でやめられなくなった。
長崎の出島に似た、「新出島」という隔離された空間に閉じ込められた犯罪者の群れと、その子孫が住む、100年後の日本から物語は始まる。
細胞の老化を決定するテロメア遺伝子の操作によって、自由に寿命を変えることが出来るようになった世界では、ノーベル賞受賞者のような優秀な個体は不老の権利を享受し、犯罪者は急速に老化を促進させられる。
そこでは、平均寿命は25年で、世代交替の周期は15年。
表現が過剰にグロテスクなところはあるけれども、あり得べき一つの将来の姿として、緻密な設定を下敷きにして描かれている世界観にはかなりのリアリティーがある。
未来の世界では、「文化効率化運動」によって敬語が失われてしまっており、敬語を正しく話せるということが貴重な能力になっていることや、レジスタンスの人々が、政府の支配に反抗するために、わざと助詞を入れ替えて日本語を話す場面など、その独特で大胆な未来予想に、読みながら強烈に引き込まれてしまう。
たとえば「『逃げられない』という日本語は音の連なりとして最も美しい」というセンテンスなど、ものすごく独特な感性と思った。
iPhoneで読む電子書籍は、かさばらないので、電車の中で立っている時のような、スペースの限られた状態で読むにはとても便利だ。
読んでいる途中、シーンに合わせて音楽や効果音が流れるところがあるので、夜に一人で読んでいる時は、いきなり音が鳴ってびっくりする。
ページ単位でのブックマークというのは付けられるのだけれど、本とは違って、線を引いたり、ページを折ったりすることが出来ないので、メモ的なコメントを残すには、ちょっと使い勝手が悪い。
範囲指定をして、その部分にだけハイライトを付けるようなメモ機能は、ブックリーダーに搭載されるようになってほしい。
【名言】
平等が善だという常識がSW遺伝子によって崩れた。不老不死のSW遺伝子は人間の等級の頂点と最底辺を明らかにした。頂点の1つがノーベル賞受賞者で、最底辺は幼児を犯して殺す犯罪者だった。医療や教育の平等なサービスという原則を破棄するには、頂点と最底辺の人間のタイプを示すだけで充分だった。(p.359)
わたしたち人間には他の動物と違う重要な2点があるのだ。1つは不鮮明になった発情期で、2つ目は長期の未熟成だ。それらはそれぞれ強い繁殖力と、言語および社会性を学ぶ時間を獲得するための進化の淘汰圧になり得たがその代償が社会化だった。わたしたち人間が言語を中心とする複雑な文化を生み出した背景には、発情期の喪失、そして長期の未成熟という犠牲がともなっていて、その補完には社会化しかなかったということになる。(p.484)
誰もが理想社会を夢見ては果たせなくて破れていったが、それは完全な棲み分けという概念を持ち得なかったからだ。とりたてて動物界と植物界を例として挙げなくても、棲み分けだけが平和と精神の平穏を達成する。(p.940)
アキラ、このことはぜひ理解してほしいの。それは、今この場所で、あるいはこれから最終的な目的地まで、不安を持つのはかまわないけど疑問を持ってはだめということ。なぜなら、不安はものごとの本質をつかむ助けとなることがあるけど、あなたの旅はあなたの情報量と知識と想像を越えたものなので、疑問はまったく無意味なのよ。(p.1285)
つまり、わたしはあるとき、気がついたの。取り戻せない時間と、永遠には共存し合えない他者という、支配も制御もできないものがこの世に少なくとも2つあることを、長い長い自分の人生で繰り返し確認しているだけなのだって、わたしは気づいたの。(p.1368)
絶望的な問題でもあり、あるいはこれこそが希望かも知れないが、徹底的に分断され、退行するしかないという状況でも人間は生きていくのだ。他の動物の種だったらとっくに絶滅しているだろう。わたしたちには生への執着があって、それがはるか昔に言語を生み、科学技術と文化を進化させた。(p.1605)
地球の外側から眺めるオーロラは不思議な脱力感を生んだ。地球の夜明けを見たときも似たような感覚にとらわれた。自分が今ここに存在していることがどうでもいいことのように感じられて、しかも不安にならない。巨大なエネルギーが色をともなって空高く舞い上がり光の壁になって揺れ動く。自分が誕生するはるか前から繰り返される美しく壮大な現象があって、それは自分が死んでいったあとも永遠に続くのだと実感する。自分はあっという間に消えてなくなる小さな泡のようなものだとわかるが、不安も落胆もない。空虚だが、満ち足りているのだ。(p.1616)
だいいちここは宇宙だから逃げられないんだよ。そうだ。逃げられないっていう日本語は、音の連なりとしては、もっとも美しい言葉だってぼくらは話している。(p.1703)
これまで、ぼくは自分が自分であることを、喜ばしく感じたことなどない。自分が自分であることの、ほとんどすべてがいやだった。だが、ヨシマツだろうが他の誰だろうが別の人間になることだけは絶対にいやだった。他の人間になった自分をどうやって憎めばいいというのだろうか。(p.1731)
大切なことを理解した。ぬくもりも音も匂いもない宇宙の闇の中で、気づいた。生きる上で意味を持つのは、他人との出会いだけだ。そして、移動しなければ出会いはない。移動が、すべてを生み出すのだ。しかし、せっかく気づいたのに、それらを活かすことなくぼくはこれから死を迎えるのだろうか。だが、人間の一生とはこんなものかも知れない。誰もがいろいろなことに気づき、だがそれを人生に活かすことができないという怒りを覚えながら消えていく。(p.1793)

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