生物から見た世界


生物から見た世界(ユクスキュル/岩波書店)

これは、相当に面白い本だった。
コウモリやイルカは、超音波のソナーによって、人間には感知出来ない形で、周りの状況を三次元的に把握する。これは、人間にわからない感覚を、他の動物が感知出来る場合だけれど、その逆に、人間に感知出来るほとんどのものを、まったく感知出来ない生物もたくさん存在する。
だから、生物によって、その生物から見た世界というのはまったく姿が異なるもので、その生物固有の世界のことを、この本では「環世界」と呼んでいる。この、「環世界」の違いの激しさは、かなり衝撃的だ。
中でも、ダニの環世界の解説は、特に面白かった。
ダニには目がないので、表皮に分布する「光覚」を使って、木の枝の上に移動する。その後、哺乳類の皮膚腺から漂う酪酸の匂いを感知した時には身を投げる。温度感覚で、なにか温かいものの上に落ちたら、獲物の皮膚組織のに頭から食い込んで、血を吸う。獲物の上に落ちることに失敗した場合は、もう一度、木の枝の上に登ってやり直す。
ダニが持っている機能というのは、これですべてだ。要するに、血を吸って、産卵して死ぬ、ということを遂行するために必要十分な機能以外は一切持ち合わせていない。
この、ダニのような、わずかな感覚器しかない生物から世界を見たら、どれだけ少ない刺激の中で生きているんだろうと思うけれど、刺激の種類が少ないということは、より確実に、必要な信号をキャッチ出来るということだ。
ダニにとっては、視覚や聴覚などは必要ないというだけでなく、あると、それがかえってジャマになってしまうものなのだ。
おそらく、人間も、イルカのような生物からしたら、極度に視覚に依存した不便な生物に思えるだろうし、生物全体の視点からしたら、人間というのはまったく窮屈な環世界の中で生きているのだろう。
ダニが、枝の上でじっと獲物を待っていても、その真下を獲物が通りかかる確率はかなり低いのではないかと思うのだけれど、なんと、ダニはまったく栄養を取らずに17年間じっとしていることが出来るのだという。
生物によって違うのは、空間的な感覚だけでなく、時間的な感覚も、かなり異なるということだ。人間は、1秒間に17回という単位で、受け取った信号を処理するけれど、カタツムリは、1秒間に3回しか処理出来ない。だから、カタツムリ自身からしたら、自分自身がノロいという感じはまったくしないだろう。
他にも、ミミズやモグラやヤドカリなど、色々な生物の環世界を取り上げて解説がされているのだけれど、そのどれもが、独特な感覚と特殊技能を持っていて面白い。
同じ地球上に棲んでいても、生物の種が違うということは、もはやまったく別の次元に棲んでいるということに等しい。とにかく、世界観が一変してしまうような、大きな衝撃を与えてくれた本だった。
【名言】
あらゆる生物は機械にすぎないという確信を固守しようとする人は、いつの日か生物の環世界(Umwelt)を見てみたいという希望は捨ててほしい。(p.5)
動物主体は最も単純なものも最も複雑なものもすべて、それぞれの環世界に同じように完全にはめこまれている。単純な動物には単純な環世界が、複雑な動物にはそれに見合った豊かな構造の環世界が対応しているのである。(p.20)
ダニを取り囲む豊かな世界は崩れ去り、重要なものとしてはわずか三つの知覚標識と三つの作用標識からなる貧弱な姿に、つまりダニの環世界に変わる。だが環世界の貧弱さはまさに行動の確実さの前提であり、確実さは豊かさより重要なのである。(p.22)
ある動物が実行できる行為が多いほど、その動物は環世界で多数の対象物を識別することができるといってよいだろう。実行できる行為が少なく作用像も少なければ、その環世界は少ない対象物からなる。このためその環世界はたしかに貧しいものではあるが、それだけ確実なものになっている。なぜなら、ものが少ないほうが、たくさんある場合より勝手がわかりやすいからである。(p.94)
人々が「良い環境」というとき、それはじつは「良い環世界」のことを意味している。環世界である以上、それは主体なしには存在しえない。それがいかなる主体にとっての環世界なのか、それがつねに問題なのである。(p.165)

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