闇の左手


闇の左手(アーシュラ・K・ル・グィン/早川書房)

ものすごく細かい、世界の作りこみようだった。
SFというのは、まず、前提となっている世界観にどれだけのリアリティーがあるかというのが重要な要素になるけれど、この小説の場合、本当に見てきたかのように緻密に、一つの惑星の生活や文化の体系がきっちりと作りこまれている。
この、舞台となっている惑星ゲセンの特徴は、地球から<冬>という名で呼ばれるほどに寒い場所であるということと、そして、そこに住む人々が両性具有であるということ。
その前提条件を元に、そういう環境下では、人はどのように考えるようになり、どういう社会を形成するようになるのかという、壮大な思考実験の物語といえる。
カタツムリにも似た、男にも女にもなり得る生物となった人間という存在を用意して、それによって、人間にとっての性別というのは、どういう意味と影響を持つものなのかということを考えさせられる。
両性具有の人々にとっては、性別による不平等や不公平感とは無縁だし、限られた発情期しかもたない彼らからしてみれば、地球の人間というのは、いかにもいびつで、不便な生き物であるように見えてしまう。
そういう惑星に、たった一人、地球からのメッセンジャーとして送り込まれた主人公のゲンリー・アイ。その異文化コミュニケーションのすれ違い方は本当にリアルで、その間には高くて越えられそうにない壁がある。その差をお互いが理解して、乗り越えていく姿はとてもドラマチックだった。
この「闇の左手」というタイトルは、とても意味深長な言葉だ。この世は陰と陽、アンラ・マンユとアフラ・マズダの二項対立がベースであるという価値観から眺めれば、闇の左手が握っているのは光の右手ということになる。お互いに対立する属性を持つ者同士が、どこまでわかり合うことが出来るのかという、壮大なテーマの物語だった。
【名言】
「あなたやわたしの未来において、あなたが確実に知っていることは?」
「われわれは死ぬということです」
「そうです。答えうる問はたった一つです、ゲンリー、しかもわれわれはその答をすでに知っている・・人間の生活を存続させうるものは、永遠不変の耐えがたい不安ですよ、次になにがおこるかということを知らない不安です」(p.93)
いま降っている雪、新しく降りつもった雪、ずっと以前に積もった雪、雨後に積もった雪、新しく凍った雪・・オルゴレイン語にもカルハイド語にも、これらをそれぞれ言い表す言葉がある。カルハイド語には私の数えたかぎりでは、雪の種類、状態、年齢、性質などを言い表す言葉が実に六十二もある。それから降り具合を言い表す言葉がそれと同数ぐらい、氷に関する言葉が同じく、それから温度の状態、風の強さ、降水の種類などを言い表す言葉がまた二十やそこらはある。(p.208)