東京番外地


東京番外地(森達也/新潮社)

東京番外地というのは、東京の中にありながらも、なんとなく人々が通り過ぎたり、忌避してしまうような異界を指した言葉。そこにみずから入り込んでいったルポタージュが15編、この本ではまとめられている。
面白いと思ったのは、この本で取り上げられている場所は、たしかに日常生活の中ではほとんど関わりのない場所であるけれども、行こうと思えば誰でも行くことが出来る場所ばかりだということだ。
皇居の中は一日に2回ずつ一般解放されているし、東京地裁でおこなわれている裁判は誰でも傍聴できるし、イスラム教のモスクも、山谷のドヤ街も、立ち入りが出来ない場所ではない。
ここでは、マスコミや記者としての権限を利用して取材をしているわけではなく、一人の都民として、東京の色々な場所を訪れて、その様子を書き綴っている。
連載もので、紙数も少ないために「死刑」や「いのちの食べ方」など、著者の他のルポタージュに比べるとだいぶあっさりと流してしまっているような印象を受けるけれど、それでも、東京の中にある異界に興味を感じるに充分な臨場感がある文章だった。
【名言】
死刑囚の刑は死刑となることだ。だから彼らは、刑が執行されるその日までは未決囚の扱いで、刑務所ではなく拘置所に勾留される。死刑という生命刑に懲役という自由刑が加わるので、確定死刑囚を刑務所に入れることはできない。つまり彼らはシュレディンガーの猫。生きているか死んでいるかに意味はない。(p.21)
統合失調症の発症率は、総人口のおよそ一パーセント。この統計は、世界中ほとんど変わらない。百人に一人。決して稀な確率じゃない。彼らと僕らとのあいだには、実のところは大きな障壁などない。(p.99)
「ところで大叔父って具体的にどんな血縁関係でしたっけ」
土屋が言う。
「何だっけ。叔父の父親だろ、きっと」
「そうでしょうね」
少し歩いてから土屋が言う。
「大叔父は叔父の父親って言いましたよね」
「そうだよ」
「叔父の父親ってことは、父親か母親の兄弟の父親ってことですよね」
「うん」
「それって祖父ですよ」
僕は黙り込んだ。土屋も黙り込んだ。(p.269)