ウェンブリー・スタジアムで歌った、『ボヘミアン・ラプソディ』の歌詞が、そのステージに立つに至ったフレディの心境を重ね合わせると、とても様々な意味を持ったものに思えてくる。21分間というライブでの曲リストも、なんだか、考え込まれた末のセレクションのような気がして意味深だ。
Wikipediaなどの年表と見比べると、出来事の時系列については、実際の事実とは違っているところがあるようで、よりドラマチックになるように物語を再構成したり脚色している部分は多々ある気がするのだけれども、映画ということで、完全なノンフィクションではないという前提なんだろうなと思う。
映画はエンターテイメントなのだから仕方がないとは思うものの、ちょっと、フレディの人生を美談として上手にまとめ過ぎなように思えて、本当のところはもっと、スッキリしないいろいろがあったはずだろうと感じた。
一番印象的だったのは、クイーンを離れ、ソロになってボロボロになりながらアルバムを作っているフレディのところに、メアリーが現れる場面。
「妊娠をした」と告げるメアリーに「How could you?!・・・」と続きを言いかけるけれども、自分には何も言える資格はないと我にかえり、すべてのものが自分から失われたことを自覚する。
フレディが、自分のやりたいように出来ると思って、バンドをやめてソロになった後、皆が自分の思う通りに従って、摩擦も衝突も意見のぶつかり合いもないという状況になった時、やっぱり元のバンドが良かったんだと気づく場面は良かった。
映画を観て、あらためて名曲揃いだと感じたクイーンの音楽の数々。
その中に、いろいろなジャンルやテイストの曲が様々に入り混じっているのは、「同じものは二度作らない」という、新しいものにチャレンジをし続ける精神があるからなのだなと、作曲の場面を観ていてわかった。
僕がクイーンで一番好きなのは、『Good Old-Fashioned Lover Boy』なのだけれど、たぶん、映画の中では登場していなかった。
どこまでがオリジナルの音源で、どこからがアフレコなのか、まったく区別がつかないので、これは相当苦労をしてミックスしているんだろうなと思う。
こういう、実在の人物を元にしている作品は、「イメージが違う」と言われないようにするために、俳優さんたちは並大抵ではない技量が必要になるな・・とか、なんかそういう部分に関心が向いた。
難しさを承知の上で、それでもこの映画を作ろうとしたということ自体が、ものすごく大きなチャレンジだったのだと思う。