忘れられた日本人(宮本常一/岩波書店)
著者が、日本各地の村を訪ねて、そこでの見聞をまとめた説話集のようなもの。こういうのを読むと、民俗学というのは面白いものだと思う。
今から百年ぐらいしか経っていない時代のだけれど、現代から考えてみると随分と違っているもので、その、開放性と閉鎖性を両方持った「村」という共同体の極端さと奇妙さは、驚くことばかりだった。
日本という国について、とても愛着が深まったし、面白い国だとも思った。
この本が書かれた時代よりも昔になってしまうと、「日本むかしばなし」のように、現実とは一線を画した別の世界の話しになってしまうし、それよりも後の、戦後の時代になれば日本中で一気に画一化が進んだのであろうから、この、明治の終わりぐらいの時期が一番「日本らしい」村の風景が残っていた時なんじゃないかという気がする。
特に面白いと思ったのは、「土佐源氏」という話しで、橋の下に小屋をかけて住む盲目の乞食に聞いた回顧録は、その人生がそのままとても素朴な物語になっていて、小説以上の味わい深さがあった。この話しなどは、一人の人間の中に人知られず眠っていた数々の体験が、宮本常一氏という聞き手を得て、見事な物語として引き出されたもので、その芸術的な手腕に惚れ惚れとする。
著者が伝え聞いた話しのまとめ方も、話し手の個性や愛嬌といった雰囲気までが表現されているようで、とても上手い。
こういう、そのままにしておけば、一人の記憶の中に閉じ込められたまま消えてなくなってしまうはずだった話しが、このようにして後世にも読める形で残されているというのは、ものすごく貴重なことだと思う。
【名言】
こういう世話役は人の行為を単に善悪のみでみるのではなく、人間性の上にたち、人間と人間との関係を大切に見ていく者でなければならない。そしてそういう役割はすでに家督を子供にゆずって第一線から退き、隠居の身になって、世間的な責任をおわされることのなくなった老人にして初めて可能なことであった。(p.42)
しかし、わしはあんたのような物好きにあうのははじめてじゃ、八十にもなってのう、八十じじいの話をききたいというてやって来る人にあうとは思わだった。しかしのう、わしは八十年何にもしておらん。人をだますことと、おなごをかまう事ですぎてしまうた。(p.133)
秋のいそがしい時でのう、小松の間から見える谷の田の方では、みな稲刈りにいそがしそうにしておる。そういうときにわしはよその嫁さんをぬすもうとしておる。何ともいえん気持ちじゃった。このままにげて帰ろうかとも思ったが、やっぱりまたれてのう。
もう小半ときも待ったろうか。夕方じゃった。夕日が小松を通してさしておったが、下の方から嫁さんがあがって来る。絣の着物を着ていて、前掛けで手をふきふき、ゆっくりと上がって来なさるのよ。わしは上からじっと見ておった。なんぼか決心の要ったことじゃろう。わしはほんとにすまん事をする、と思うたが・・。(p.148)
はァ、おもしろいこともかなしいこともえっとありましたわい。しかし能も何もない人間じゃけに、おもしろいということも漁のおもしろみぐらいのもの、かなしみというても、家内に不幸のあったとき位で、まァばァさんと五十年も一緒にくらせたのは何よりのしあわせでごいした。
だいぶはなしましたのう。一ぷくしましょうかい。(p.192)
公職を退いてからは全く晴耕雨読の生活に入り、いつも懐に手帳を入れていて、田を耕しているときも、気がつく事があると田を打つ手をやめて畔に出て腰をおろし、これを書きとめた。
「鉛筆をなめましてな、あれはああだった、これはこうだったと、考えながら、土を見、空を見あげて書いておりますと、空にぽっかり白い雲なんどが浮かんでおりまして、今度は一句つくりたくなる」というような日々をおくった。(p.274)