すベてがFになる


すベてがFになる(森博嗣/講談社)

再読。
ミステリーの仕掛け部分もよく出来ていると思うのだけれど、それ以上に、バーチャル・リアリティーについての考察に、とても感銘を受けた。
孤島の閉鎖された研究所の、その中のさらに密閉された空間に隔離されている、一人の天才。その躰は閉じ込められてはいるけれど、ネットワークによって外部と接続することによって、思考はほぼ無制限の活動をすることが可能になっている。そういう状態で、極限まで机上での推論を重ねて構築された、完全なる計画。
真賀田四季と犀川創平の二人は、人生観の点で多く共通しているところがあり、そこから生まれる言葉や思考は、とても本質的で面白い内容だった。
動機という部分で、意味がよくわからないところもあったのだけれど、それは、ずっと後に発刊された「四季 夏」の中で明らかになっていることがわかり、さらに奥深い作品であることが再認識された。
【名言】
「こんなアウトドアライフも、いつかバーチャル・リアリティーになって、部屋の中で楽しむようになるんですね」萌絵が言った。「普通の人には抵抗あるでしょうけど・・」
「そんな見せかけの自然なんかって思う奴がほとんどだろうね」犀川はまた煙草に火をつけた。「だけど、だいたい自然なんて見せかけなんだからね。コンピュータで作られたものは必ず受け入れられるよ。それは、まやかしだけど・・、本物なんて、そもそもないことに気づくべきなんだ、人間は・・。人間性の喪失とか、いろいろな着飾った言葉で非難されているけど、すべてナンセンスだね。人間が作った道具の中で、コンピュータが最も人間的だし、自然に近い」(p.79)
「ペンチが発明されたとき、ペンチなんて使うのは人間的じゃないって強情を張った奴がいただろうね。そんな道具を使うのは堕落した証拠だって。火を使い始めたときだって、それを否定した種族がいただろう。けれど、我々は、そもそも道具を使う生物なんだ。戻ることはできない。こういうことに対して、寂しいとか、虚しい、なんて言葉を使って非難する連中こそ、人間性を見失っている」(p.80)
Time is moneyなんて言葉があるが、それは、時間を甘く見た言い方である。金よりも時間のほうが何千倍も貴重だし、時間の価値は、つまり生命に限りなく等しいのである。(p.308)
「ネットワークさえつながっていれば、僕はどこにいたって良い」犀川は振り向いて嬉しそうに言う。「いや、正確には・・、もともと、どこにいたって良いのだけど、ネットワークはなくてはならない・・、かな。」(p.355)
「死を恐れている人はいません。死にいたる生を恐れているのよ」四季は言う。「苦しまないで死ねるのなら、誰も死を恐れないでしょう?」(p.495)