チベット密教(ツルティム・ケサン/筑摩書房)
チベット密教も、おおもとの源流としては仏教と同じところにあるわけだから、仏教と似た部分がかなりあるだろうと思っていたのだけれど、かなり理解を超えた内容だった。言葉や文字によってわかりやすく説明される顕教と違って、密教が容易に理解出来るものではないことは想像がつくのだけれど、ここまでちんぷんかんぷんな世界だとは思っていなかった。これだけを専門にして修行している人でさえ、その内容を習得するには20年以上がかかるというのだから、相当に難解なものなのだろう。
実際のところはどんな感じなのかは、いまいちピンとこないけれども、チベット密教の歴史や、修行の内容について、この本はかなり詳しく書かれている。そうとう細かい部分に至るまで、一つ一つきちんと理屈を考え抜いた末に出来上がった体系であるということはよくわかった。巻末に詳細な参考文献の一覧や、マンダラの世界観についての解説もあり、入門書としてはとても優れた本であると思う。
【名言】
大僧院で学ばれる内容を修学するには、少なくとも二十年を越える年月が必要となる。学堂によっては、二十五年を要することもあった。(p.106)
こうして顕教を学び終え、ゲシェーの称号をえて、最優秀であることの証明を果たした僧侶だけが、いよいよ密教の修行に入るのである。確率的にいえば、密教の修行に入ることをゆるされるのは、十人に一人かそれ以下であった。この事実を見ても、密教の修行がいかに難しいものかがわかる。年齢的には、若くても三十代後半、ふつうは四十代の達しているにちがいない。かつてツォンカパ自身が三十代の終わりで密教の本格的な修行を開始したことからいっても、この年代の設定は当をえているといわざるをえない。(p.108)
シェーラブ・テンジン師によれば、ゾクチェンは孤独な修行であり、禁欲を必須とする。彼は厳格な戒律を守り、むろん妻帯せず、完全な菜食主義である。文化大革命の際には、反政府容疑で逮捕され、約十年間を牢獄の中でおくった。そのほとんどの期間は独房に閉じ込められ、食事はろくにあたえられず、つねに餓死すれすれの日々であったらしい。しかし、こうして極めて過酷な環境こそ、ゾクチェンの修行には理想的な環境であり、おかげで修行がすすんだという。ゾクチェンは頓悟的とされるが、じつはみずからの死と長期間にわたって向き合うだけの力がなければ、決して成就しない修行の道であるようだ。(p.199)
ダライ・ラマは常々、密教を学ぶためには、その前に上座部(小乗)の経典を、そして大乗経典を徹底的に学び、その後に初めて密教に進んでいくという、三段階の学習の階梯を強調するが、それはゲルク派の宗祖ツォンカパの主張そのものであり、顕教と密教の統合を重んじる、バランスの取れた見方を提示している。仏教学者以外は上座部仏教の経典など学習することはない、日本の僧侶のあり方と比べてみても、それは顕著なものである。(p.258)