宇宙の誕生から始まり、はるか未来の宇宙の消滅までの歴史を解説した、壮大な歴史書。
歴史といっても、その年代やスケールによって、それを扱う学問は多岐に渡っていて、宇宙の誕生の部分は、素粒子物理学。
石器時代のようなところは考古学の範囲で、いよいよ人間の文化や文明が興ってからは、哲学、政治、経済、美術、地理、物理学、生物学といった各種リベラルアーツが総動員されて解説されることになり、その、人類の知恵を集結した感じが、読んでいてたまらなく面白い。
「歴史」と言いながらも、歴史と表現するには扱っている幅が広すぎて、これはこれで一つの新しい学問のジャンルなのだと思う。
かなり実験的な本なので、実用性がどのくらいあるかは未知数だけれども、学問が本来的に持っている面白さは確実に伝わってくる。
名言
138億年にわたる宇宙の歴史を貫いているのが、複雑さの増大というトレンドだ。複雑さの増大が私たち人間を生み、私たちが複雑さを増大させた。ビッグバンののち、物質を形づくる最初の粒子が現れ、ゆっくりと星が形成された。星々からありとあらゆる化学物質が生まれ、地球と地球上の生命が形づくられた。
人間の歴史も複雑さの増大というパターンに貫かれている。狩猟採集社会から農耕社会、そして近代社会へと発展する歴史は、複雑さ増大の歴史でもある。混沌とした歴史を、その始まりから現在に至るまで貫くようなトレンドは、複雑さの増大以外にはない。
物質が幾物のように精密に結び合わされるとき、複雑さが生まれる。
複雑なものは、エネルギーを吸収することで姿かたちや生命を維持する。星には燃料となるガスが、人間には食べ物が、携帯竃話にはバッテリーが必要だ。そこに共通する原理は、死を免れるためにはエネルギーの流れが必要だということだ。それが宇宙にある複雑な現象すべてを貫く法則である。
(p.62)
「蓄積」。このシンプルな一つの言葉が、ホモ・サピエンスとそれ以外の種を分かつ違いをもっともよく表している。情報を蓄積する能力である。人間は、忘れ去ることより多くのことを次世代に伝え、世代を経るごとに保有する情報と知識の量を増やしていく。それを集団学習と呼ぶ。
人間が今日の地位を築いたのは、天才ぞろいだったからではない。そんなことは、政治家や有名人、あるいは周囲にいる人の顔を思い浮かべればすぐわかる。野生の環境で生まれて一人で育ったら、人間も動物も大差ないかもしれない。人が一生のうちに発明できるものはそれほど多くない。生き残るためだけでも忙しいのだ。人類の歴史の大部分を通じて、ほとんどの人がそんな状態で生きてきた。
しかし、何世代にもわたって一つひとつ蓄積された小さな発明によって、人類は生物圏の中で新奇でユニークな存在となった。積み木を高く積むように、ゆっくりだが確実に発明は積み重なり、数千年かけて複雑さは劇的に変化した。進化論的な時間のスケールで考えれば、人間は一瞬にして石器時代から超高層ビルの時代に進化したと言える。それが集団学習の力である。
アイザック・ニュートンは、重力に関する自身の研究成果について、自分は巨人の肩の上に立っているにすぎない、と語った。先人の知恵を借用する言い訳と捉えることもできそうだが、実際のところ「巨人」とは、人類の歴史に現れた何千何百万もの発明家たちのことだ。
一つずつは小さなイノベーションだが、それを積み上げることのできる能力が持って生まれた脳の力、言語能力、抽象的思考能力以上に一人間をユニークな存在にしている。
私たちは過去の出来事を詳しく記憶する比類なき才能がある。つまり歴史を記憶する能力がある。
(p.173)
1)人口。すなわち、潜在的なイノベーターを生み出す母集団の人数。すべての人が生きているあいだに技術やルール、思想の改良を思いつくとはかぎらない。しかし、人口が多ければ多いほど、だれかが何かー小さなものであれ大きなものであれーを生み出す確率は高まる。
2)携続性。過去のアイデアの上に新しいものを構築するには、まず過去のアイデアを知る必要がある。これは、口承または文字による知識の伝承、またはその知識を持つ人間との対面でのコミュニケーションのいずれかによって可能になる。あるいはそういう人との共同作業も必要かもしれない。
インターネットを介した瞬時のコミュニケーションと、アレキサンドリア図書館のような膨大な知識がスマートフォン一つで得られる今日、接続性の制約がイノベーションを妨げるという状況を想像するのは難しい。しかし人類の歴史の大部分において、イノベーションを阻む最大の要因の一つは、知識のプールにアクセスできなかったことである。人類が誕生してから最初の30万年間、私たちのコミュニティはどれも、狩猟採集によって命をつなぐ数十人の集団でしかなかったのである。
(p.178)
6600万年前、トガリネズミのような哺乳類が腐った果物や野生の穀物を食べ、結果として少量の発酵アルコールを摂取し、脳の中でドーパミンというささやかな報酬を得たのが事の発端と考えられている。その快楽反応によって私たちの祖先は腐ったものを摂取するようになり、そのおかげで餓死を免れたのである。アルコールの大量生産が始まってからは、この神経反応が効きすぎて、私たちは基本的に飲みすぎの状態にある。
また、初期の農耕民は、家畜のすぐそばで、ときには同じ住居の中で暮らしていた。人間と家畜のあいだをウイルスや細菌が移動することで、鳥インフルエンザや豚インフルエンザが蔓延し、人間の集団を苦しめるようになった。食べ物や廃棄物も害虫を引き寄せ、ネズミ、ノミ、ゴキブリなどがはびこった。汚物にたかる生き物たちが、さまざまな感染症、赤痢、ペストの亜種といった新しい病気を運んできた。
ぞっとさせられる話だ。「複雑さ」イコール「進歩」と考えていた読者は、初期農耕時代の暮らしを想像してその考えを改める必要がある。
(p.210)
タイプII文明|恒星文明
タイプII文明は、恒星の規模で得られる全エネルギーに等しいエネルギー量を利用できる文明である。未来予測シナリオに当てはめれば、「現状延長の未来」や「起こりうる未来」を超えて、「可能な未来」の段階に達している文明だ。どんな技術があればこの段階に到達できるか、現在の科学では、まだ正確なことがわかっていない。
人間(この文明段階の人間が、どんな進化を遂げているかはわからない)が恒星に相当するエネルギーを利用すると聞けば、ダイソン球を思い浮かべる人がいるかもしれない。
ダイソン球というのは星全体をぐるりと覆う仮説上の巨大人工構造物である。その星が宇宙に放出するエネルギーの一部を地球上の植物やソーラーパネルが吸収するというのではなく、その星が発するエネルギーをすべて吸収するというものだ。
このような超文明が使えるエネルギーフローはおよそ702億エルグ/g/sで、現代の文明と比べて複雑さが飛躍的に増大している。
構造的にきわめて複雑で、文明を取り巻く環境や宇宙物理の基礎も操作することができる。現在の文明とこの文明を比べれば、単細胞生物と第二次世界大戦のスピットファイア戦闘機のエンジンくらい複雑さが違う。
この文明では、人類は「トランスヒューマン」あるいは「ポストヒューマン」になっている可能性がある。生物学的な老化現象を逆転させているかもしれないし、意識をコンピュータにアップロードすることで、集合意識またはサイポーグとして永遠の生命さえ獲得しているかもしれない。高度なコンピューティング能力によって、集団学習やコミュニケーション、新しい発明が目もくらむばかりの速さで進行していることだろう。
現在の複雑さの加速度的な上昇に照らせば、これほどの段階にさえ、せいぜい2万5000年で到達する。
2万5000年前、人類はアフリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラレーシアで狩猟採集生活を行っていた。農耕が始まったのがおよそ1万2000年前だから、2万5000年という時間は、農耕文明の出現から現在までのわずか2倍だ。1兆年の1兆倍の1兆倍の1万倍という宇宙の全寿命に比べれば、瞬きほどの長さもない。星が今後も燃えつづける100兆年という時間に当てはめても、0・00000000025%にすぎない。
これらの数字からわかるのは、宇宙生物学者やSETI(地球外知的生命体探査)マニアも考えていることだ。すなわち、宇宙が複雑さを増大させはじめるまでには何十億年もかかったが、始まってしまえば、複雑さが次のブレークスルーを迎えるまでの時間はどんどん短くなるということである。
つまり、このレベルの複雑さを有する文明が宇宙のどこかで生まれるための時間は十分すぎるほどある。いまの人間という種で実現するとはかぎらないとしても。
(p.322)