女系家族


女系家族 上下巻(山崎豊子/新潮社)

最初っから目が離せない展開で、とにかく先が気になって、一気に読んだ小説だった。
大阪の老舗呉服問屋の当主が死んだ後、繰り広げられる遺産相続の壮絶な争い。しかも、四代続いた矢島家には、女系を尊ぶ伝統があるために、我儘放題に育てられた三人姉妹のいずれもが、自分の相続権を一分たりとも譲ろうとはしない。
「華麗なる一族」も「白い巨塔」も「沈まぬ太陽」も、権力をめぐる闘争が大きなテーマだったけれども、この「女系家族」は、その中心にあるのが女性たちなので、その描き方もまた、男社会での争いとは様子が一味違っている。
遺産相続の当事者である三人姉妹だけではなくて、その周りの、遺産管理人である大番頭や、長女の舞踊の師匠、相続対象である山林の山守など、様々な人物がこの相続劇に関わっていくのだけれど、そのいずれもが、それぞれの立場から自分の損得勘定を計算高くはじきだす、亡者の集まりのような様相になっている。
ひたすら続く、謀略と騙し合いの繰り返しは、芸術的な域にまで達していて、その駆け引きが面白い。
遺産にまつわる品目や金額の記載も、やたらと細かいし、作品の中に登場する衣裳や骨董品や料理の名前など、一つ一つが仔細に挙げられていて、その具体的すぎる描写が、ものすごいリアルさだと思った。
昭和30年代の作品ということもあり、難しい言葉使いが多かったけれど、大阪弁での、ディベートのような言葉の応酬は、小気味良いスピード感がある。
山崎豊子という作家は、こういう、人の心の奥底に潜む欲望のようなものを表現させたら、右に出るものがいない、達人レベルの書き手だと思う。
出版後、現在までに繰り返しドラマ化されているらしいのだけれど、たしかに、これほどTVドラマにうってつけの脚本というのは、そうそうないだろう。
【名言】
「妙なもので、ご大家の嬢さんほど、欲が強いようでおますな。お幼い時から、ご自分が欲しいと思われたものは、何でも自分のものになり、人に譲るとか、ものを分けるとかいうようなことをご存知やおまへんので、遺産分けというような相手とものを分けることから始まることには、いささかの譲歩もござりまへん」
「けど、何というても、血を分けたご姉妹の間のことでおますし・・」
「ところが、肉親の姉妹同士の間ほど、争いが深くなるようでおます、数億の遺産の分配でありながら、あのお三人の間では、たとえ、一万円、千円、毛筋一本の出入りでも、お譲りになりまへんやろ、いっそ、他人同士ならお譲りになることでも、まるで、血が血を逆らうようにお三人の間に、腥い嫉みとも、憎しみともつかぬ競争心が呼び起こされるようでおます、それも、四代も女系を重ねた血の濃さから来るものかと思うと、何かぞっとするような、因果めいた怖しさが背筋に来るようでおます・・」(上巻p.279)
「俗に山師という言葉があるほど、山林の売買や、所有権については、よっぽど気をつけてかからんことには、えらいペテンにかけられてしまうものだす、つまり、一口に山林を何町歩持っているなどと云うても、山の地床だけの場合もあるし、立木の伐採権だけの場合もあるし、地床も伐採権も所有している場合もあるわけで、それによって持ち山の値打が桁違いに開いて来るわけだす」(上巻p.296)
「私は父の葬儀に矢島家の筆頭喪主として利休橘の家紋を背負うて焼香にたち、小さい時から矢島家の家紋を、二人の妹より長く、度多く背負うて来ましただけに、どんなことがあっても、総領娘である私が、あの二人より、たとえ竈の灰の一掬いでも少ない相続は出来ません、それはもう、現実の損得勘定を離れた気違いじみた執念のようなものかもしれまへんけど、私は昔通りの女系の家の総領としての誇りと力を失いとうないのだす」(上巻p.303)
「ちんまりなら、わいは要らん、わいはごっそりと奪りたいのや、わいは十四の齢から七十二歳まで、先々代から三代にわたって勤めながら、月給は今もたった手取り六万三千円、これが船場の老舗のやり方や、二言目には暖簾の、老舗のというお題目で、丁稚上がりの番頭を騙して、一生飼い殺しにして使うのが、船場の老舗の人の使い方や、それを黙って五十八年間、耐え忍んで来たのは、今度のような機会を辛抱強うに狙うてたんや、先代が死にはった時は、わいはまだ、今ほどの任され方をされてなかったし、その上、昔の相続法は、長子相続やったさかい、先代の総領娘がすぽっと独り占めの相続をして、揉めようがなかったから、間にたってうまい仕事のしようがなかったわけや、その点、今度の相続は、三人の姉妹で遺産を三等分、そこへ旦那はんの隠し女まで出て来て、その女が旦那はんのほんまの子供かも知れんような子を孕んでると来るさかい、こんな面白い揉め方はないやないか、わいの狙うてたんは、こんなややこしいに入り込んだ相続の時や、この千載一遇の時に、わいは、何の働きもせんと、先祖からの財産をぬくぬくと戴き取りだけする奴らの上前を撥ねて、ごっそり奪ったるのや」(下巻p.222)
「嵯峨野のお月見は、よかったわね」
不意に雛子が云った。この場に何の脈絡もない唐突とした言葉であったが、庭先を向いて白萩の一群を見詰める雛子の姿は、藤代の眼にも豪奢なお月見の夜が想い出された。東山、小倉山を背景に、大沢の池に屋形船をうかべ、観月の曲の琴の音を聞きながら、仲秋の月の出を眺めたあの壮麗な美しさと幽艶な雅やかさが藤代の胸に甦り、あの時、姉妹三人揃ってこうした豪奢なお月見を出来るのも今年限りではないかという不吉な思いが自分の心を掠めたのは、このことであったのかと思うと、藤代は、歯ぎしりするような口惜しさを覚えた。(下巻p.427)
「リーブル」の読書日記