なるほどの対話


なるほどの対話(河合隼雄・吉本ばなな/新潮社)

吉本ばなな氏と、河合はやお氏の対談。
良かった言葉を、いくつか抜粋。
【名言】
河合:外界で起こっていることが、吉本さんの内界で起こっていることとまったく違うから、それはおそらく、拒絶するより仕方なかったんでしょう。
ぼくはよく「さなぎの時代」と言うんだけど、まさにそれですね。なかではすごく変わっているわけだけど。そのときに、暴走族とかになって、むっちゃくちゃ暴れる子がいます。そういうのも同じことなんです。なぜ自分が暴れたかわからないし、「あとから考えたら、なんであんなことやっていたんだろう」と。(p.18)
吉本:南米に行ったときは、「パッと死ぬのがいいね」という感じだったんです。なんでもいいから「パッと死にたいな」という感じが漂っていて。(p.61)
吉本:いじめられかけても、笑いでごまかしたり、うまく逃げたりして、なんとかしのいで。だから学校には、いい思い出はほとんどないんです。「学校は自分をぐしゃぐしゃにした」という印象が強くあります。(p.105)
吉本:よく考えてみると、温泉に行くと飲みすぎたり、お風呂に入りすぎて湯あたりしたり、移動で疲れたりして。あと、バリ島とかに行って、「くつろぐ休日」とか書いてあるけど、やっぱり移動がたいへんだったりしてくたびれる。(p.179)
河合:自己なんて実現しようと思ったら、途方もないことがいっぱい起こる。それをぜんぜんわかってない。だからぼくは、「『自己実現』は『他己実現』や」言うてるんです。「他人が素晴らしいと思うことをやってるだけや」って。他人がかっこいいと思っていることをやることを、自己実現と呼んでいるだけやと。だから、誤解されるから、あんまり使わんようにしてるんです。(p.190)
河合:人間のもっとも自然な発露としては、「コノヤロー」と言うのがいちばんいいのに、「いやあ、そうでございましたか」とか、「お考えはよくわかります」とか言って、家に帰ってから、バーンって壁を蹴飛ばしたりしてるわけ。家帰って蹴飛ばしてる人は、まだいいんですよ。それすらも、やっていない人がいる。
溜まっていることさえも、わからない。そしたらもう胃潰瘍にでもならんと気づかない。そういう意味では、ぼくは家族という存在に、とても助けられていると思う。家族には、「あいつはアホや、こいつはアホや」と言ってもいいからね。「そうや、アホや」って。新聞に載るわけやないし。そういうところがなかったら、たまらんのとちゃうかなあ。(p.256)
河合:「自分だけが苦しい状態にあって、みんなはうまいことやっている」と思っている人が多いわけだけど、小説を読んだら、「ここにもいる。なんだ、いっぱい。あっちにもこっちにも」というのがわかるわけでしょ。それだけでもずいぶん違いますよ。(p.276)
吉本:どうしても、やっぱり「私が、私が」という感覚が、人間だから出てきちゃうんです。でも、最終的には、誰が書いたかわからないようなものを書きたいですね。「この文体は吉本さんのだ」と思われなくて、すっごくいい話しだけど誰が書いたかわからない、そういうものが書きたい。山のなかの石に刻んであるような話。「タイトルなし、著者名なし」といった感じの。(p.286)

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