封印漫画大全(坂茂樹/三才ブックス)
これは、かなり濃い本だった。
「オバケのQ太郎」や「MASTERキートン」があれほどの名作でありながら、なぜ、書店でその姿を見ることがなくなってしまっているのか、という事情など、この世から、いくつかのマンガが「無かったことにされてしまった」舞台裏の様々を説明している本。
「燃える!お兄さん」や「国が燃える」など、当時、新聞で大きく取りあげられた出版差し止めは、人々の知るところとなっているけれど、一般的には、作品の改変や削除というのは、出版社側にとっては不名誉なことが多いので、誰にも告げられることなく、ひっそりと行われることが多い。
差し止めにはならなかったまでも、単行本化にあたって、連載時とは絵やセリフを入れ替えるというのはよくあることらしく、それが、どういう経緯によって変更することになったのか、前後を比較して検証されているというのは面白かった。
時代によって、何がタブー視されていたかというのは異なっていて、それは、その時代をリアルタイムで体験していないとなかなか理解しにくいものなのだろうけれど、それにしても、「なんでこの程度の内容で発禁に?」という疑問を感じるものがたくさんあった。
最近のゴールデンタイムのテレビ番組、たとえば「世にも奇妙な物語」のようなものを見ると、余程、表現的に問題がありそうな内容が多い気がするのだけれど、それでもマンガがたやすく槍玉にあげられてしまうというのは、そもそも最初っから標的にされやすいメディアということなんだと思う。
【名言】
最終回には次のようなセリフがある。
「これで燃える!お兄さんはおわりだ
おぼえていたいやつはおぼえていればいい
忘れたいやつはさっさと忘れちまえ
このマンガにはメッセージはなにもない
4年間応援どうもありがとう
ひとまずさよならだ」
ギャグ漫画にしては潔すぎる寂しいエンディングである。(p.139)
かつてから「4つ」は差別用語の一つで、侮蔑的に使われることも少なくなかった。そのため注意を要する表現とされ、4本指であるかのように見える描写が自主規制の対象になったと推測される。差別的に使われたものでない限り、その言葉や描写に問題はないはずなのだが、自主規制はいつの間にか当然のシステムと化し、その結果、ドラマなどの舞台から「四ッ谷駅」は避けられることになる。(p.193)