2days 4girls(村上龍/集英社)
精神を病んだ女性を預かり、壊れた心を「オーバーホール」する、通称プラントハンターと呼ばれる主人公と、その治療対象となった4人の女性の物語。
主人公は、カウンセラーのような役割を持ちながら、その手法は精神科医がとるアプローチとはまったく違う。一様に自己評価が低い彼女たちの自己評価を高め、さらに「信頼」という概念を植えつけることによって、精神のバランスを正常に近づけようとする。そのために、彼女たちに新しい世界を教えこんでいく様は、「プリティ・ウーマン」にちょっと近い。そこに、精神的な要素が加わった感じだ。
たとえば、女性を癒す場面で、幸せな記憶を想像して作り上げさせるというシーンがある。この女性は、とても狭い家で育ち、そのために両親や祖母の間にケンカが絶えなかったことが自分の不幸の原因であったと考えていた。
女性は、想像の中で、「豊かな生活」というものを頭の中に作り上げるが、その中に出てくる部屋や小物のイメージは、実際に自分がそれを知らなければ想像することが出来ない。だから、その空想を完成させるために、主人公は、イメージの素材となる経験と考え方を身につけさせようとする。
村上龍の小説は、金銭的な豊かさを幸福に置き換えて語ることを否定しない。
金銭的に豊かだからといって幸福とは限らないけれども、少なくとも、貧しいがために得ることが出来ない幸福があるということを、容赦なく突きつけてくる。
物語は、夢の中のようにぼんやりとした世界を彷徨いながら進んでいき、どことも知れない庭園を延々と歩きまわって、主人公の過去の記憶を遡っていく。同じメッセージが執拗に繰り返される、非現実的な感覚も、夢の中に近い。
退行催眠にかけられているように、精神世界の奥深くに入り込んでいく気分になる、不思議な作品だった。
【名言】
ある種の人間にとっては大金を稼ぐのは大してむずかしいことではない。それはインサイダー取引の一種だ。どこに投資すればいいか知っている人間と知らない人間がいて、知っている人間は知らない人間から合法的に金を奪い取る。(p.7)
わたしには付き合っていた女に裏切られたという空洞のような部分があり、その部分でカオリと知人のプロデューサーのやりとりを翻訳していたような気がする。その空洞のような部分から、ただ一つの事実がわたしに届く。お前には価値がない、というどうしようもない事実だ。裏切った女はわたしから去っていったが、そこから導かれる事実はわたしの価値に関することだけだった。わたしに価値がないということだ。女が去ってからわたしは色々とその理由を考えた。結婚したかったのだろうとか、将来を考えて不安になったのだろうとか、他の男のほうが安心できたのだろうとか、そういった下らないことだ。だが、要するに事実は一つしかなくて、去っていった女にとってわたしにそれだけの価値がなかったのだ。(p.37)
あのオーナーは意気地のない男でした。人間のランクで言えば、中堅だったのではないでしょうか。わたしはもっと上のランクの人にも飼われたことがあります。その人は、黒人とのハーフの日本人で、刀剣を集めるのが趣味で、貿易会社の社長でした。いつかわたしを日本刀で切りたいといつも言っていました。わたしがその男から逃げたのは、日本刀で切られるのがいやだったからではありません。ちょっと上のランクだったといっても結局その男も中くらいの人間にすぎなかったからです。
たとえばの話ですが、このカフェで裸になってはいけないと決めたのは、とるに足らない人間たちです。そういう決まりに従うのはこれもまたとるに足らない人間たちの成せるわざで、わたしはそういう人間と歩調を合わせて生きていく気は最初からないわけです。そこのところを理解していただけるかどうかが、わたしが人間を見るときのポイントです。(p.129)
イメージはディテールだけでできていて物語性はないが、だからといって効果がないわけではない。現実が戻り、リワインドが終わって、不安定になっても、さやかには理想の家族のイメージが残っている。それは、さやかの家族が別の生き方ができたかも知れないという可能性で、幻想ではない。その可能性を反芻することで、さやかは少しずつ自分を肯定することができるようになった。(p.185)
わたしは人を救ったことなどない。わたしは信頼という概念を彼女たちに教えようとした。それはわたしが仕事を通じて学んだことで、奇妙で危ういバランスの上に成立している概念だった。信頼を前提にして金融市場と付き合うのはバカだけだが、市場のほうは企業にも国にも個人にも信頼を要求する。重要なのはファイナンスで、債務超過の企業でも、通貨危機に陥りそうな国でも、融資の保証があれば市場は黙認する。しかし本当にファイナンスされているのかどうかは関係ない。大多数の市場関係者がファイナンスされていると判断すればそれで充分なのだ。嘘をつかない人間がいないのと同じで、完全にファイナンスされている企業も国も存在しないが、それでも信頼を築くことは不可能ではない。ファイナンスされているということを、コミュニケーションを通じて、どうにかして市場に認めさせればいいのだ。(p.252)
笑いは、脳からの指令だけで起こるものじゃないし、脊髄からの指令だけで起こるものでもない。ただ、神経細胞の強い発火が必要だと言われている。脳からちょろちょろと普通の信号が送られるわけじゃなくて、強烈な信号がぼっと燃え広がるように伝わってくる。(p.274)
わたしは不機嫌な顔の、このあなたの写真が好き。ミユキはそう言った。わたしはいつも笑いたくないときに笑ってきたから、不機嫌なときに不機嫌な顔をしているあなたが好きなんだと思うの。(p.329)