天平の甍(井上靖/新潮社)
時代小説というと、戦国時代や江戸時代のものが多いので、その時代のものには馴染みがあるけれど、この小説の場合、天平時代の出来事を描いているところが新鮮でいい。
阿部仲麻呂や吉備真備のような、教科書以外では見たことのない人々が、物語の中の登場人物としてしゃべっているところも、なんだか奇妙で面白い。
この話しは鑑真が主人公なのかと思っていたら、鑑真についてはあまり詳しく書かれていずに、どういう人だったのかということもよくわからないぐらい、あっさりとした扱われ方だった。
本当の主人公は、それよりも、無名ではありながら人生の大部分をかけて、何十年もひたすらに写経した経典をなんとかして日本に持ち帰るということに異様な執念を燃やした、業行のほうだろう。
物語の配分から言っても、鑑真や普照が日本に戻ってきた後のことについてはほとんど触れられていずに、遣唐使というものがどれほどに命懸けで、日本と唐との間で文化や教義を伝えようとしていたかという部分にほとんどの紙数を費やしている。
五度の失敗の後、失明をした後に60歳を過ぎてようやく鑑真を日本にたどり着かせたものは、運以外の何者でもなく、幸運にも日本に着いたものより何倍も多くの書物や人が海の藻屑と消えていった。
海を超えて異国の地に渡るということが、常に死を賭した決死行だった時代には、たった一巻の書物や一人の人間を運ぶということだけでも、ものすごい覚悟が必要だったのだということがよくわかる。その、先人たちの執念のすさまじさが伝わってくる物語だった。
【名言】
こうしたことを、いままで多勢の日本人が経験して来たということを考えている。そして何百、何千人の人間が海の底に沈んで行ったのだ。無事に生きて国の土を踏んだ者の方が少ないかも知れぬ。一国の宗教でも学問でも、いつの時代でもこうして育ってきたのだ。たくさんの犠牲に依って育まれて来たのだ。(栄叡)(p.25)
俺はこの国はいまが一番絶頂だなと思った。これが一番強いこの国の印象だ。花が今を盛りと咲き盛っている感じだ。学問も、政治も、文化も、何もかもこれから降り坂になって行くのではないか。いまのうちに、俺たちは貰えるだけのものを貰ってしまうんだな。たくさんの蜂が花の蜜にたかっているように、各国からの夥しい留学生たちが、いまこの国の二つの都にたかって蜜を吸っている。(戒融)(p.34)
われわれの場合だって、無事に帰国できるとは決まっていないんだ。帰国できるかも知れないし、できないかも知れない。われわれはいま海の底へ沈めてしまうだけのために、いたずらに知識を掻き集めているのかも知れない。(玄朗)(p.52)
併し、普照にも、鑑真の渡来と、業行が一字一句もゆるがせにせずに写したあの厖大な経典の山と、果たして故国にとってどちらが価値のあるものであるかは、正確には判断がつかなかった。一つは一人の人間の生涯から全く人間らしい生活を取り上げることに依って生み出されたものであり、一つは二人の人間の死と何人かの人間の多年に亘る流離の生活の果てに始めて齎されたものであった。それだけが判っていた。(p.179)