『エネルギーをめぐる旅』【感動的な構成力】新しい視点から人類史を捉え直した名著


(古舘恒介/英治出版)

めっちゃくちゃ面白い本だった。
狩猟採集の時代に始まり、現代に至るまでの人類史を、「エネルギー」を中心にした視点から読み解くというスケールの大きさに痺れる。
そして、エネルギーをベースにして考えると、人類の技術や文化の発展がものすごくわかりやすく説明可能だということに感動した。

「火」「産業革命」「電気」あたりは、教科書的にもエネルギー史の中に当然含まれるとして、それ以外に「農耕」「森林」「肥料」という観点が加わっていることで、一筋の道としてすべてのストーリーがつながったような納得感をものすごく感じた。

数百万人という規模で殺傷ができる原子爆弾のような大量破壊兵器の出現も、歴史の転換点になるポイントには違いないけれども、それ以上に、数十億人単位で人口の上限を引き上げた、窒素固定による肥料の開発を可能にした「ハーバー・ボッシュ法」の発明は、空前絶後のイノベーションだったのだとわかる。
その一つの技術から派生して、穀物の大量生産や、畜産の大規模化など、あらゆる変化を引き起こしていったのだから、もはやその発明前後で世界線が異なるような感覚だ。

エネルギーの歴史に関連した、アゼルバイジャンやレバノンなどの土地を実際に旅して、そこから物語を展開するという、横軸と縦軸のミックスも意外性があってとても惹き込まれたし、なにより、様々な事象を組み合わせて新しい考察を展開する、構成力が抜群だった。
そして、文章がとても簡潔明瞭で無駄がない。美しい文章だと思う。

全4部構成になっているのだけれども、とくに「第1部 量を追求する旅――エネルギーの視点から見た人類史」の面白さが圧倒的だった。
第1部だけを単体で取り出しても、十分に面白く、読む価値がある本だと思う。

名言

『2001年宇宙の旅』には、人類の発展を示す有名なシーンがあります。動物の骨を道具として使うことを初めて覚えた人類の祖先の一団が、骨を武器にして水場をめぐる他の集団との戦いに勝利します。勝利の雄たけびとともに空に放り投げられた骨を追う映像は、やがてその空の先に浮かぶ2001年の宇宙船の姿に切り替わる、というものです。そこでは道具の扱いを覚えたことが人類の繁栄の始まりとして象徴的に描かれています。しかし、巨匠キューブリック監督に対して僭越ながら、こうしたシーンを撮るのであれば、その絵に最もふさわしい物は動物の骨ではありません。それは、炎、たいまつなのです。動物の骨のような単純な道具であれば、ゴリラやチンパンジーなどの類人猿にも扱うことができます。今も昔も人類のみが扱うことができるもの、それが火です。
人類は火が形作ったといっても過言ではありません。それほどまでに火の存在は圧倒的なのです。(p.33)

食べ物を叩き、刻み、すりつぶすなどして加工したうえで、それを加熱処理する。それが「料理」です。そう料理を定義すると、料理をすることによる身体への効果が浮かび上がってきます。もうお分かりでしょう。食べ物を料理すると、その吸収に要する胃腸の負担は劇的に軽減されるのです。
まず、食べ物を物理的に加工することで、口での咀嚼の負担が軽減されます。次に加熱加工することによって、食べ物は柔らかく、さらに咀嚼しやすい物へと変化します。野生のチンパンジーが一日のうち六時間以上を食べ物を噛むことに費やしていることを考えると、こうした加工による効果は決して小さくありません。
さらに決定的な変化をもたらす力が、加熱にはあります。熱はでんぷんやタンパク質を変質させ、食べ物の持つ栄養価を飛躍的に高めることにつながるのです。例えばでんぷんの代表例であるジャガイモでは、加熱調理することで消化吸収できるカロリーが倍近くにまで増えます。タンパク質の代表例である生卵も同じような数値を示します。加熱によってカロリー密度が高い食事を取れるようになったことで、食べる量は減り、消化器官は小さくて済むようになりました。現在、私たちの食事量は大型類人猿の半分程度で済んでいます。私たちはたくさん食べているように思えても、実は大して食べていないのです。すべては加熱調理のおかげです。
食べ物を加熱することには、もうひとつ利点があります。加熱することで食べ物に付着した雑菌を殺せるのです。これにより、バイ菌の体内への侵入を防ぐ免疫系の負担も軽減させることができます。料理とは、消化器官への負担を軽減し、吸収できるエネルギー量を最大化する偉大な「発明」なのです。
こうして人類の祖先は、料理をすることで自らの体内での消化にかかるエネルギー負担を減らし、胃腸を相対的に小さくすることに成功しました。要するに私たちの祖先は、本来であれば消化器官が行う必要のある仕事を、食べ物を「料理」することで、一部外製化したのです。外製化したことで得られた余剰エネルギーは脳へと集中投資され、それが私たちの祖先の進化の方向性を決定づけることになりました。このように、私たち現生人類が極めて高度は知能を持つに至ったことには、人類の祖先による火の利用が大いに関係しているのです。(p.37)

ファラデーは次なる実験装置として「ファラデーの円盤」と呼ばれる機械を考案します。1831年10月28日のことです。この装置では磁石の両極の間に銅の円盤が挟まれる形になっており、円盤を回転させると、銅板の縁の部分は常に地場の変化に晒される、すなわち電流を生じ続けるように設計されていました。磁場の変化に晒される銅板の縁には導線が接触させてあり、銅板の中心部とつなぐ回路を形成していました。ファラデーが取っ手を回して銅板を回転させてみると、狙い通りに電磁誘導によって発生した電流が途切れることなく導線を流れ続けたのです。世界初となる発電機が完成した歴史的瞬間です。これは運動エネルギーを電気エネルギーに変換する、新たなエネルギー変換装置の発明でした。
それにしてもこのような装置を、電磁誘導の原理を理解してから、ものの10日ほどで作り上げてしまうファラデーという人物は、並の才能の持ち主ではありません。ファラデーをして史上最高の実験科学者と称賛する声もありますが、それも納得です。(p.125)

光合成の技術は進化の過程で植物に広く普及したため、地球上の生物の設計図は炭素を中心に組み立てられることになりました。一方で、窒素を固定化する技術は、生命40億年の歴史を通じても根粒菌に代表されるごく一部の最近が獲得するに留まり、広く普及するには至りませんでした。それだけ技術のハードルが高いということになります。こうして大気には多くの窒素が取り残されることとなったのです。
ところで自然界には、待機中の窒素分子の三重結合を直接引きはがすだけの強大な力を持った自然現象が一つだけ存在します。それは雷です。雷が発生するとその強大な空中放電のエネルギーにより窒素分子の三重結合が解かれ、それが雨に溶けて地上に降り注ぐことで植物は窒素を取り込むことができるようになるのです。このことは、雷には植物の生育を促進する効果があることを示しています。
雷と植物の生育に関係があるとは、自然から隔絶した生活を送るようになって久しい現代人にとっては、一見不思議に感じることでしょう。しかし自然を丁寧に観察していた古代人にとっては当たり前の事実でした。雷は大和言葉で、稲妻ないし稲光と表現されます。古代人は雷の発生により、付近の稲が大きく育つようになることを経験的に知っていたのです。古代の人々は、火の本質を正しく見抜いたように、雷がもたらす肥料効果もしっかりと見抜いていたわけです。(p.155)

こうして作られた人工肥料がもたらしたもの。それは人口の爆発的増加です。ハーバー・ボッシュ法が発明される以前は、窒素を動植物が固定化する方法は、豆科の植物の根に共生する根粒菌に代表されるごく一部の細菌の働きか、雷のエネルギーによって空気中の窒素分子が分離され、それが雨に溶けて地上に降ってくるという二つの方法しか存在しませんでした。つまり、自然界において窒素を固定化できる量には一定の限界があったことになります。それがとりもなおさず、地球上に生存を可能とする人類を含む生物の総量を制限していたのです。それが自然界に存在した暗黙の秩序というものでした。
その自然界のくびきを、ハーバー・ボッシュ法は解き放ちます。エネルギーを大量投入して、空気中の窒素をどんどん固定化することで、地球上に同時に生存可能な人類をはじめとする生物の総量が飛躍的に拡大したのです。その恩恵を最大に受けたのはもちろん人類と、人類の食料となったトウモロコシや小麦、米に代表される穀物でした。(p.159)

世界三大穀物のなかでも生産量が頭一つ抜けているもの、それはトウモロコシです。世界における2019年度の生産量は、小麦が7億6400万トン、米が4億9800万トンであるのに対し、トウモロコシは11億1700万トンも生産されています。なぜトウモロコシは世界の穀物の覇者となったのか。その理由は、小麦やイネにはないトウモロコシの特長を調べることで、浮かび上がってきます。その際立った特長は、大きく二つあります。
トウモロコシ固有の特長、その一つ目は、外見を比較すれば分かります。ポイントは種子がつく位置です。トウモロコシの実は、茎の中間付近に生っていることが見て取れます。一方で小麦やイネは、実が頭頂部に生っています。この構造上の違いは極めて大きいものです。茎の中間付近に実をつけるほうが、頭頂部に実をつけるよりも同じ茎の強度で生らせることができる実の量が多くなることは自明だからです。つまりトウモロコシは、人類にとって最もリターンが大きいイネ科の植物だったのです。
(中略)
トウモロコシ固有の特長、その二つ目は内部に備わった機能にあります。それは光合成の方法です。植物がエネルギーを取り込み、炭素を固定化する方法である光合成には、大きく分けて二種類の方法があることが知られています。C3型とC4型です。
C3、C4とは、光合成によって作られる最初の有機化合物に含まれる炭素の数を表しています。つまるC4型光合成を行うほうが、C3型光合成を行うより、ひとつ多くの炭素を固定化できるのです。結果としてC4型光合成を行う植物は、成長のスピードがC3型光合成を行う植物より速くなり、単位面積あたりの収量も多くなる傾向を示します。世界の三大穀物のなかで、唯一このC4型光合成を行うのがトウモロコシなのです。(p.166)

もともと牛は草を食む動物で、雑食である豚や鶏と異なり、穀物であるトウモロコシを食べるようには設計されていません。四つの胃袋を持ち、消化しにくい牧草を何度も反芻することで体に取り込むように作られています。牧草は栄養価が低く、十分な量を得るためには広大な土地を必要とします。一方で生産が余剰になったトウモロコシは、栄養価が高く、かつ安価に入手することができました。つまり、トウモロコシを牛の飼料にすることができるようになれば、広い牧草地は不要になり、狭い肥育場で育てることができるようになります。
そこで、この余剰トウモロコシを牛に消費させることが研究されるようになりました。上手に飼料に配合できれば、牛は狭い土地でより早く育つようになり、それは生産性の向上に直結するからです。いってみれば牛肉生産の工業化です。こうして一旦工業プロセス検討の流れに乗ってしまうと、もはや後戻りはできません。第一胃での反芻が上手にできなくなって呼吸困難に陥る鼓腸症や、本来中性であるはずの牛の第一胃が酸性化することで引き起こされる酸毒症など、トウモロコシを牛に与えることで引き起こされる様々な病気を予防するための抗生物質が順次開発され、畜産農家の多くは、どんどんトウモロコシを牛に与えるようになっていきました。
その結果、それまで出荷に5年程度かかっていた生育プロセスはどんどん短縮され、今やトウモロコシ飼料が最も普及している米国産の牛は、生後14ヶ月から16ヶ月程度で出荷されるまでになっています。このようにして牛肉は大量生産されるようになっていきました。牛肉の値段が安くなったのは、大元を辿れば安価なトウモロコシ飼料のお陰であり、それはすなわちエネルギーの大量投入がもたらした産物なのです。
さらにいえば、牛は食べ物から吸収したエネルギーの一割程度しか肉として蓄えることができません。九割は生命維持に必要不可欠な心臓をはじめとする臓器の運転や体温の維持といった代謝活動に使われてしまうからです。つまり、人類はトウモロコシを牛に与えることで、自らが直接トウモロコシを食べる場合と比較して10倍近いエネルギーを浪費していることになります。
私たち人類が70億を超える人口を保ちながらも、なお牛肉を日常的に食するという贅沢が許されているのは、エネルギーを大量投入して工業的に生産した大量のトウモロコシを無理やり牛に食べさせているからにほかなりません。この事実をみても、私たちの食生活がいかに大量のエネルギー消費によって支えられているかがよく分かります。(p.172)

19世紀までの人類は、太陽エネルギーと自然の窒素固定化能力の範囲内で生成された食物を消費することで生をつないでいきました。そこには自然界が定めた越えることのできないガラスの天井がありました。しかし20世紀以降、ハーバー・ボッシュ法という技術を編み出したことで、人類はその限界をいとも簡単に打破し、いわば間接的に有限の化石燃料を喰らう形でここまで人口を増やしてきました。
カナダ・マニトバ大学のバーツラフ・シュミルによれば、仮にハーバー・ボッシュ法が発明されなかったならば、現在この世に住む人口の5人に2人は存在しなかっただろうとされています。別の言い方をすると、現在、生を受けているすべての人類は、その体の40%をハーバー・ボッシュ法により固定化された窒素原子に依存しているのだともいえます。(p.180)

熱力学の第二法則ほど示唆に富む法則の存在を私は知りません。当初は熱力学上の命題から生まれた第二法則ではありましたが、やがてその応用範囲の広さが明らかになっていきます。物理の法則で何かひとつだけ知っておくべきものを挙げるとするならば、それは熱力学の第二法則であると私なら断言します。
(中略)
熱力学の第二法則とは、誰でも経験的に知っている現象を表した法則です。それは、熱いお湯はやがて冷めるが、冷たい水が自然に熱くなることはない、という現象です。当たり前のことでしょう。この当たり前のことの重要性に初めて気がついたのがクラウジウスです。彼が着目したのは、熱エネルギーには一方向にのみ進む、不可逆の方向性があるという事実です。(p.212)

私たちが考える「時間」とは、過去から現在、未来へと進んでいく一方向の不可逆過程のことです。このことを20世紀前半に活躍したイギリスの天文学者アーサー・エディントンは「時間の矢」と呼びました。私たちがこうした時間の流れを感じ取ることができるのは、実のところ熱力学の第二法則が存在し、事物が散逸していくことで世の中が一方向に流れていくからなのです。
しかしながら、こうした不可逆な流れが確実に認識されるのはマクロな世界に限った話で、原子レベルのミクロの世界ではその存在が途端に怪しいものになります。熱エネルギーの実態を掘り下げることで、このことを考えてみましょう。
エネルギーが散逸し、劣化していくことを決定づけているのは、熱エネルギーの存在です。熱エネルギーとは、原子や分子の大集団が乱雑に動き回ることで生じる運動エネルギーの集合体です。では、この運動が仮にひとつの原子だけから成る場合は何が起こるでしょうか。どの方向に動くにしろ、ひとつの原子はひとつの方向にしか進みません。乱雑な動きは生じようがなくなるはずです。ひとつの原子のみによる運動は、運動エネルギーであって熱エネルギーではありません。つまり、ひとつの原子や分子だけを取り上げるミクロの世界には、熱エネルギーは存在しないということになるのです。
実は運動エネルギーを記述するニュートン力学や相対性理論の物理公式では、時間が一方向にのみ進むという縛りはありません。なぜなら、時間を反転させても式が成り立つからです。つまりミクロの世界においては、過去、現在、未来へと進む「時間の矢」が存在しているかどうかは、よく分からないのです。現代物理学の最先端の知識をもってしても、時間がめぐる問題には未だに答えが導かれていないのが実態です。驚いたことに、私たちが慣れ親しんでいる「時間」というものは、実のところマクロの世界において初めて確実に立ち現れるものに過ぎません。
さらにこの問題にもう少し踏み込んで、やや大胆なことをいえば、そもそも時間の流れとは、マクロな世界に生きる私たち生物、なかでも人類が独自に創造したものなのだともいえます。私たち生物は、外部から刺激を受け、それに対し自身に許された自由の範囲内で意思決定をし、反応をします。刺激を受けてからそれに反応するまでの一連の順序の存在こそが、生物が時間の存在を感じることができる理由です。なかでも私たち人類は、自らが下した過去の意思決定を長く記憶し続けることができるため、外界からの刺激に対する一連の意思決定は、ひとつの大きな流れとしてもつながっていくことになります。こうして私たちは、その誕生から死に至るまでの時間性の中に、自己の存在をも確立することができるのです。(p.231)