国境の南、太陽の西(村上春樹/講談社)
この本を読んだのは、10代に読んだ時以来、2度目のことになる。
その当時に感じたことと、今感じることが大きく違うことに驚いた。
昔はまったくわからなかったことのうち、今では共感とともに、とてもよくわかることがあった。
それもそのはずで、この話しは、「失われてしまった時間」についての話しだから、貴重な時間の真っ最中にいるうちには、失われた時間のことについてなど理解が出来るはずがないのだ。
でも、その逆に、昔は気づいていたのに、今はまったく気づくことが出来ない事柄も、中にはあるんだろうと思う。読むときによって、本が変わっているのではなく、自分自身が変わっている。きっと、しかるべきタイミングで、しかるべき本に出会うように、上手く出来ているんだろう。
この本は、もし、ずっと後になってもう一度読み返したら、きっとその時にしかわからないことに気づかせてくれるテーマを含んでいるんじゃないかと思う。
ずっと後になってからもう一度読むことがあるかどうかわからないけれど、その時に一体、この作品のどの部分にひっかかりを感じるか、それが楽しみだ。
【名言】
そのときの彼女の手の感触を僕は今でもはっきりと覚えている。それは僕が知っている他のいかなるものの感触とも違っていた。そして僕がそのあとに知ったいかなるものの感触とも違っていた。それは十二歳の少女のただの小さくて温かい手だった。でもその五本の指と手のひらの中には、そのときの僕が知りたかったものごとや、知らなくてはならなかったものごとがまるでサンプル・ケースみたいに全部ぎっしりと詰め込まれていた。彼女は手を取りあうことによって僕にそれを知らせてくれたのだ。そのような場所がこの現実の世界にちゃんと存在することを。(p.20)
もちろん僕はイズミを損なったのと同時に、自分自身をも損なうことになった。僕は自分自身を深く、僕自身がそのときに感じていたよりもずっと深く、傷つけたのだ。そこから僕はいろんな教訓を学んだはずだった。でも何年かが経過してからあらためて振り返ってみると、その体験から僕が体得したのは、たったひとつの基本的な事実でしかなかった。それは、僕という人間が究極的には悪をなし得る人間であるという事実だった。僕は誰かに対して悪をなそうと考えたようなことは一度もなかった。でも動機や思いがどうであれ、僕は必要に応じて身勝手になり、残酷になることができた。僕は本当に大事にしなくてはいけないはずの相手さえも、もっともらしい理由をつけて、とりかえしがつかないくらい決定的に傷つけてしまうことのできる人間だった。(p.55)
僕はBMWのハンドルを握ってシューベルトの「冬の旅」を聞きながら青山通りで信号を待っているときに、ふと思ったものだった。これはなんだか僕の人生じゃないみたいだな、と。まるで誰かが用意してくれた場所で、誰かに用意してもらった生き方をしているみたいだ。いったいこの僕という人間のどこまでが本当の自分で、どこから先が自分じゃないんだろう。ハンドルを握っている僕の手の、いったいどこまでが本当の僕の手なんだろう。このまわりの風景のいったいどこまでが本当の現実の風景なんだろう。それについて考えれば考えるほど、僕にはわけがわからなくなった。(p.80)
なあ小学校の頃にウォルト・ディズニーの「砂漠は生きている」っていう映画見たことあるだろう?あれと同じだよ。この世界はあれと同じなんだよ。雨が降れば花が咲くし、雨が降らなければそれが枯れるんだ。虫はトカゲに食べられるし、トカゲは鳥に食べられる。でもいずれはみんな死んでいく。死んでからからになっちゃうんだ。ひとつの世代が死ぬと、次の世代がそれにとってかわる。それが決まりなんだよ。みんないろんな生き方をする。いろんな死に方をする。でもそれはたいしたことじゃないんだ。あとには砂漠だけが残るんだ。本当に生きているのは砂漠だけなんだ。(p.89)
僕は読んでいた本から顔をあげて、よくわけのわからないまま彼女を見た。でもそのとき何かが僕を打つのが感じられた。胸の中の空気が突然ずっしりと重くなったような気がした。僕は吸引力のことを考えた。これはあの吸引力なのだろうか?(p.94)
まずまずの素晴らしいものを求めて何かにのめり込む人間はいない。九の外れがあっても、一の至高体験を求めて人間は何かに向かっていくんだ。そしてそれが世界を動かしていくんだ。それが芸術というものじゃないかと僕は思う。(p.118)
その写真は僕の胸を痛くさせた。その写真を見ていると、僕は自分がこれまでにどれほど多くの時間を失ってしまったのかを実感することができた。それはもう二度と戻ってくることのない貴重な時間だった。それはそのときのその場所にしか存在しなかった時間だった。僕は長いあいだじっとその写真を見つめていた。(p.159)
あのときに、彼女は本当に僕のことを求めていた。彼女の心は僕のために開かれていた。でも僕はそこで踏みとどまったのだ。この月の表面のようながらんとした、生命のない世界に踏みとどまったのだ。やがて島本さんは去っていき、僕の人生はもう一度失われてしまった。(p.170)