人生生涯小僧のこころ


人生生涯小僧のこころ(塩沼亮潤/致知出版社)

以前に、水晶堂で「千日回峰行」を達成した、星野圓道さんについて書いたことがあった。
http://suishodo.net/archives/2007/10/9.html
なんというすさまじい行かと驚き、このような行をやろうとする人は、いったいどのような生い立ちや動機から入るのだろうかという関心を持っていたところ、まさに、この千日回峰行を達成した行者である、塩沼亮潤さんの著書をいただいた。
塩沼亮潤さんのおこなった千日回峰行は、金峯山寺というところでおこなわれるもののため、比叡山のものとは少し異なる部分もあるけれど、ほとんど同じ内容で、やはりすさまじい。
1)奈良県吉野山の金峯山寺蔵王堂から大峯山と呼ばれる山上ヶ岳までの往復48キロ、高低差1300メートル以上の山道を16時間かけて一日で往復し、それを千日間、合計48000キロを歩き続ける。
2)一度行に入ったら、病気や事故などのいかなる理由によっても途中でやめることは出来ず、行を続行出来なくなった時には、常に持ち歩いている短刀を使って自害する。
3)千日回峰行が終わった後、9日間のあいだ堂にこもり、「断食、断水、不眠、不臥」の状態で不動真言を唱え続ける「四無行」をおこない、満行となる。
この、千日回峰行の記録を読むと、本当に超人的な修行だということがわかる。
ただ一日48kmを歩くというだけではなく、人里離れた完全な山の中を進むので、この行を続ける間に、ありとあらゆる苦難がやってくる。
病気、怪我、雷、熊、マムシ、崖崩れ、虫、etc・・。
よくこんなにも無茶苦茶なコンディションの中で行を続けることが出来るものだと思う。
この行をやり遂げるという、精神力ももちろん並外れていると思うのだけれど、それ以上にスゴいと思うのは、実際に行に入るまでの準備を、可能な限りまでやり尽くすという周到な計画性だ。
堂に入る前には、足袋も26cmのサイズだけでなく、26.5cmと25.5cmもきちんと用意しておき、不測の事態にも対応出来る余裕を常に持っている。
ペース配分についても、千日回峰行でも四無行でも、「90%を半ばとする」という考え方で、全体の90%に到達した時点で、50%の余力があるように配分して、残りの10%で最後の力を出し切るのだという。
自分一人しか頼れる人はいない行の中では、こういう自律心が何よりも重要なのだろうと思う。
文中で、ところどころに、塩沼さんがつけていた日誌からの抜粋があるのだけれど、それを読むと、修行の日数を重ねるごとに、どんどん心境が澄みとおって、言葉が明晰になっていくのがわかる。「アルジャーノンに花束を」のような、短期間でびっくりするぐらいのめざましい変化のしようだ。
この日誌を読みながら、その心境を追体験するうち、塩沼さんが、人生や周りの世界に対して深い感謝の気持ちを持っている理由がわかってきた。これだけの行を乗り越えてなお死なずにいるというのは、「生きている」というよりは、「生かされている」という気持ちが湧いてくるものなのだろうと思う。「人生生涯小僧」という、塩沼さんの心がけの源が伝わってくる、素晴らしい本だった。
【名言】
この行には、たったひとつだけ掟がございます。それは、いったん行に入ったなら、決して途中で行をやめることはできないということです。足の骨を折っても、不慮の事故に遭っても、決してやめることはできない、後戻りができないということです。万が一この行を途中でやめるときには、「神さま仏さま申しわけございませんでした。千日間歩き通しますと申しておりましたが、自分の不徳によって途中でやめざるを得ません」と神仏にお詫びをして、左腰に携えている短刀で自分自身の腹をかき切って自害しなくてはならない、厳しい掟でございます。(p.12)
お寺の生活というのは非常にシンプルなものでございます。毎日、同じことの繰り返しです。この同じことの繰り返しというところに、実は行の意味があります。同じことを繰り返していくうちに、やがて一日として同じ日はないと気づくようになります。日々、気温も湿度も天気もすべて違うように、人の心も、気分の良いときもあれば悪いときもあり、さまざまに変化しております。その変化の中で、どのようにしたらありのままに生きることができるのか、なのです。(p.72)
大自然はとても手ごわく、何が起こっても現実を受け入れるしかありません。台風の日があり、嵐の日があり、雷の日があります。それらを、あぁこうきたか、今度はこうきたか、こう攻めてくるか、じゃあ自分はこうして乗り越えよう、と闘っていきます。(p.164)
千日回峰行は自分自身を向上させるための、自分のための行でありましたけれども、今日からは生きるか死ぬかの四無行という行に入ります。もし世のため人のために生きて帰ってきて皆さま方にお仕えしなさいというご神仏の判断がないならば、親族をはじめ皆さま方とは永遠にお別れになります、という挨拶でございます。(p.194)
「断食、断水、不眠、不臥」のうちでどれが一番辛かったですか、という質問をよく受けます。これははっきりしています。一番辛かったのは水が飲めないことでした。(p.198)
私は四無行に限らず、苦難に遭うといつも「これが自分の日常なんだ」と考えるようにしております。すると、一種の暗示効果で「あっ、こんなものか」と思えるのです。(p.209)
ある人は言いました。「自分ならば嫌いな人は避けてしまいます」と。しかし、避けたところで、世界中どこへ逃げても怨憎会苦(怨み憎む者に会う苦しみ)からは逃れられません。ありのままに与えられた環境を受け入れて、常に感謝をし、心豊かに日々を過ごすこと、これが私たちに与えられた定めのように思います。(p.231)

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